2010年2月9日火曜日

シンディ・ローパー&パティ・ラベル レディ・マーマレード





1985年11月28日シンディとパティ






DIVAS 2004 ジェシカ・シンプソンも加わえて



公私共に仲の良い
シンディとパティ。

パティ・ラベルは
Patti LaBelle、1944年5月24日 - )
アメリカ合衆国ペンシルベニア州
フィラデルフィア出身の歌手、女優。
彼女の名を冠したコーラスグループ、
パティ・ラベル & ザ・ブルーベルズ、
ラベルの中心シンガーでもあった。
ライブパフォーマンスに定評があり、
その広い音域と特徴的な
ハイトーンヴォイスで有名な歌手である。


シンディの結婚式では、牧師がリトル・リチャード
(Little Richard、1932年12月5日 - )
アメリカ合衆国の歌手。
ロックの創始者の一人。
本名:リチャード・ウェイン・ペニマン(Richard Wayne Penniman)。
wikipediaより転載
パティー・ラベルがウエディングソングを歌った。


レディ・マーマレイドについて

 「レディ・マーマレイド」は映画『ムーラン・ルージュ』(2001年)の中で使われ、4人の女性歌姫を起用したPVがMTVで大いに話題を集めて、大ヒットし、映画の興行に大貢献した歌だ。MTVを使った興行作戦はちょっと嫌らしかったが、マイアを中心にした、けばけばしいファッションの4人が、セクシーに踊りまくる画面はかなりのインパクトがあった。この大ヒットで「レディ・マーマレイド」が再び話題を集めたが、この曲、1974、75年にラベルによって、かつてそれ以上の大ヒットをとばしたことがある。ラベルといえば、この曲というくらい、彼女たちの代表曲として記憶されている人が多いと思う。しかし、この曲、実は彼女たちのオリジナルではない。同じ年にイレブンス・アワーというグループが先にこの曲をレコーディングしていたのである。

売れているとは言い難いこのイレブンス・アワーの「レディ・マーマレイド」を聞いて、興味を持った男が一人いた。名プロデューサーであり、自身がプレーヤー、そしてシンガーでもあるアラン・トゥーサンである。トゥーサンはザ・バンドの『ライフ・イズ・カーニヴァル』や自身のアルバム『サザン・ナイツ』で、売れっ子プロデューサーとして、すでにその地位を確立していた。その彼を訪ねてニューオリンズへとやってきていたのがラベルである。ラベルはパティ・ラベル、ノナ・ヘンドリックス、サラ・ダッシュの女性3人組グループであるが、実はそれまではブルーベルズという名前でフィアデルフィアを中心に活動をしていた。ブルーベルズは結成時には4人編成で、スマッシュヒットを飛ばしていたが、シンディー・バードソンがフローレンス・バラードの後釜としてシュープリームスに参加するため脱退してからは、あまりヒットに恵まれなかった。以降、後発のフィアデルフィアサウンドと呼ばれたグループに先を越され、不遇な時代が続いてしまうことになる。74年、レコード会社を替え、エピックと契約を結び、心機一転、ラベルと改名して、再出発を図ろうとしていたのが、ちょうどこの時だった。アラン・トゥーサンは、「レディ・マーマレイド」を彼女たちのデビュー・シングルとして使うことを決め、即刻、シー・セイント・スタジオで録音を行った。

ラベルは3人ともソロを取れるほどの実力者の集まりで、歌唱力には問題はなかったが、曲に恵まれなかったという不運があった。そんな彼女たちが起死回生のためには、インパクトのある曲が必要だったのはいうまでもない。「レディ・マーマレイド」はまさにうってつけの曲であったといえる。正直言って、この曲、歌詞はひどく卑猥で、お下品な内容である。ボブ・クリューはフランス人のクォーターで、フランス語の素養があったことから、"Voulez-vous coucher avec moi ce soir?"、つまり「今夜いっしょに寝ない?」というフランス語のフレーズを曲に入れている。このフレーズに象徴されるように、ニュー・オリンズのストリートガールを歌った曲で、スラングがボコボコ盛り込まれた、かなり過激な内容となっている。ニュー・オリンズのあるルイジアナ州は、フランス移民の子孫であるクリオールが多い町だ。ニュー・オリンズのクリオールの売春婦だからこそ、このフランス語のフレーズが登場する。作者のボブ・クリュー自身もクリオールであったからこそ、この歌は生まれたのだろう。
 
ニュー・オリンズをホームにしているアラン・トゥーサンは大人の女性が歌ってこそおもしろいと考えたのだろう。ラベルの再デビュー曲としてこれを選出したのだ。南部特有のホーンセクションを中心とした重圧な伴奏の下、ラベルのパワフルな歌で、このとんでもなく下品な歌が命を持つことになった。

もともとゴスペル歌手だった彼女たちのパワーと歌唱力は折り紙付きで、しかも女盛りの色気で、"Itchy Gitchi Ya Ya Da Da Da Itchy Gitchi Ya Ya here"(ニュー・オリンズの売春街のスラングで「ねえ、おじさん遊んでかない?」という意味らしい)と煽りまくった。ド派手でセクシーなファッションも話題になった。開き直ったラベルの新境地は話題を呼び、28週にわたってビルボードにランクインし、もちろんナンバーワンも獲得した。74~75年と年をまたいだロングセラーとなり、脅威的な大ヒットが記録されることになったのだ。

「レディ・マーマレイド」はもともと彼女たちの曲ではなかったが、大ヒットの産物で彼女たちの印象が強く残り、彼女たちの曲として認知されることになる。ちょうど、伊勢正三の作品で、かぐや姫の曲としてリリースされた「なごり雪」がイルカの曲として知られているのとよく似ている。ただし、ラベルは典型的な一発屋で、これに続く大きなヒットはない。レコード会社と方向性の違いもあり、2年後には解散し、それぞれソロ活動に入った。ソロでもっとも成功したのはパティ・ラベルで、今や押しも押されぬ大御所としてソウル界に君臨している。彼女のコンサートの模様を収録した『Live In New York』(1991年)では、ノナ・ヘンドリックスとサラ・ダッシュがゲストとして現れ、「ラベル」3人でノナの「リリース・ユアセルフ」を歌ってコンサートを盛り上げていた。
  「レディ・マーマレイド」は全米では記憶に残る大ヒットを飛ばしたが、日本ではビック・セールスは記録していなかったと記憶している。この曲が当時のディスコで踊るにはあまりにもハードで暗めだったのと、英語が母国語ではない日本人には歌詞のインパクトがなかったからだと思われる。アメリカでは曲よりもむしろ、歌詞のインパクトが反響を呼んだから、大ヒットにつながった。途中挟まれるフランス語のフレーズを、女性を口説くときに冗談ぽく使うことができたし、"Itchy Gitchi Ya Ya"なんていうのも、おもしろがられただろう。アメリカでちょうどこの曲が下火になってきたころに、日本では西ドイツのシルバー・コンベンションが「セイブ・ミー」と「フライ・ロビン・フライ」で、ビックヒットを記録していた。ラベルと同じ女性3人組であったが、誰でもわかるような短い歌詞の反復のみの曲はわかりやすく、しかもソフトなノリのシルバー・コンベンションは、日本のディスコではバカウケだった。ラベルとは音楽性がまるで逆方向のシルバー・コンベンションの出現で、日本ではラベルは「レディ・マーマレイド」のみの、完全に忘れ去られた存在となっていくのである。

www.smilefilm.comより転載

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