2010年7月19日月曜日

シンディ・ローパー 80年代アイドルは、最終的にブロードウェーにたどり着く。




昨日からの続きです。
三文オペラの記事、
好評みたいで
昨日、日本からのアクセス数が
以上に高かったことから
日本のシンディファンや
一般の人も見に来てくれたのか?
非常に、嬉しく思います。

今回は、記事の後半に
ビデオをアップしますが
全篇通しますと非常に長くなりますので
それ以降の続きは、是非!!
LightningIsCrazy4Cyn さんのチャンネルでご覧下さい。
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http://www.youtube.com/user/LightningIsCrazy4Cyn

三文オペラを、調べて行くうちに
気になる記事に巡り会った。

New York THEATER
Cyndi Lauper: The Remix
An eighties icon finally makes it to Broadway.
(80年代アイドルは、最終的にブロードウェーにたどり着く。)
より
インタビュー転載

シンディはその中で、興味深い事を言っている。
“In my mind, I’m Dietrich! I’m Cleopatra on the Nile! I’m whoever I think I am.”

「心の中で思うの。今私はディートリッヒよっ!私はナイルのクレオパトラなのよっ!てね
そう思うことによって私は誰にでもなれるのよ。」

PV「タイム・アフター・タイム」の冒頭
シンディが
キャンピングカーのベットに寝そべりながら観ていた映画が
マレーネ・ディートリッヒ主演(1936/米)原題 The Garden of Allah
 邦題 砂漠の花園 である。
シンディは、ディートリッヒの大ファンで、
メーキャップも一時、ディートリッヒを意識していた様な気がする。




Time After Time




マレーネ・ディートリッヒ
(Marlene Dietrich、1901年12月27日 - 1992年5月6日)
はドイツ出身の女優・歌手である。

1920年代のヴァイマール共和国のドイツ映画全盛期に花開き
1930年代からはハリウッド映画に出演、1950年代以降は歌手としての活動が多かった。
経歴
生い立ち
1901年に、ベルリンのプロイセン近衛警察士官の次女として生まれる。
18歳で国立ヴァイマール音楽学校に入学してバイオリニストを目指すが
手首を痛めて音楽家を断念。

映画デビュー
1921年にマックス・ラインハルトの演劇学校に入学
翌年には『ナポレオンの弟』で映画デビュー。
1924年に、助監督のルドルフ・ジーバーと結婚。
同年12月には娘マリアを出産後、ジーバーとは別居となる。
夫はカトリックであり、離婚が認められていなかった。

1930年、ベルリンの舞台に立っていたところを
映画監督ジョセフ・フォン・スタンバーグに認められドイツ初のトーキー『嘆きの天使』に出演。
退廃的な美貌、セクシーな歌声、その脚線美で国際的な名声を獲得した。

歌手活動
1950年代からは歌手としての活動が多くなり
アメリカ合衆国やヨーロッパを巡業。
1958年からはバート・バカラックと組んでいる。
1960年には念願の故郷ドイツでの公演を行った。
マレーネは「裏切り者」と罵声を浴びせられながらも
暖かい歓待も受けるという彼女に対するドイツ人の複雑な感情を見せつけられた。
1970年の大阪万博(EXPO'70)と1974年に来日して日本でもコンサートを行った。
メリーポプキンズの悲しき天使(Those Were the Days)という曲を
歌ったことでヒットしたことも知られている。
なお、トニー賞では
1968 特別賞を受賞している。
ウィキメディアより転載



第六幕



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