2012年3月15日木曜日

3月15日 13日 サウンドチェックに招待されて…

今回
私はある事を計画していました。

Project C Cyndi Lauper Executive Committee of Appreciation Ceremony Osaka 
世界中の仲間に協力して貰い密かに準備していました。

私達日本のファン
皆が、納得できない事。
レディ・ガガは、本当に日本の為に尽くしてくれました。
そして、日本政府はガガを称えた。
しかし、ここで
日本政府は
大きな過ちを犯しました。
先に称えなくてはいけないのは
シンディ・ローパーです。

今回の、ジャパンツアー。
新潟、東京迄で
シンディに対しての
感謝のセレモニーの情報が
然るべき所から発信されない場合は
大阪で、
Project C Cyndi Lauper Executive Committee of Appreciation Ceremony Osaka を
決行する予定でした。

感謝状と英文が刻まれた記念盾が完成し
いよいよ当日、計画実行の準備が整いました。

Dear Cyndi Lauper and
Memphis Blues Cyndi Band

Thank you so much for your dedication to supporting people who were caught up in the east Japan earthquake and tsunami in 2011. Your unstinting support gave us not only healing energy but also hope for the future.

Taking this opportunity to express our deep gratitude to you, we would like to present you a testimonial.

With love of people in Japan.

13th March 2012


感謝状

シンディ・ローパー殿
メンフィスブルース
シンディバンドの皆様

あなた方は、東日本大震災に
おいて日本を支援し震災に遭われた人々に癒やしと希望を与え献身的な活動をされました。
よってその功績を
讃え本状並びに記念品を贈り心より深く感謝の意を表します。

平成24年3月13日

あなたに感謝している
全ての日本の人々一同より。


今回、私の友人で
イタリアのシンディサイトの主
ミィコルも来日。3月10日シンディコンサート終了後ミィコルから一通のメールが来ました。
"多分、我々は一緒にCyn のSoundcheckへ行くことができるでしょう。ヤッタネ‼ 私が大阪に到着したら、あなたに詳細を話します。"
私は信じられなくて
彼女に、メールで確認をしたが
とにかく、詳しい事は大阪に着いてからだと言う話。
明けて12日
新大阪迄、
ミィコルを迎えに行き
ホテルに、送り
夜から会食を兼ねて懇談。
彼女から事実を確認しても信じられたかった。
サウンドチェックは明らかに私だけを招待。私の友人に通訳をさす為に同行させようとしたらそれはダメだとハッキリ断わられました。
そうなると
13日のサウンドチェックでは
私は彼女と意思疎通が不可能になってしまう。
まぁ、何とかなるだろう
仕方が無いと諦めました。
そして、13日昼過ぎ。
私は、コンサート終盤にゲリラ的に感謝のセレモニーをしようと考えていた為に
朝から感謝状と盾と着替えの背広を持ち行動。サウンドチェックにもそのまま持って行った。
グランキューブに着き
準備中の会場に入り関係者に何か言っているmicol。
関係者の方は、私達に少し待てと。
暫くしたら
ソファーのある場所に誘導されパスが出来る迄、ここでお待ち下さいと。
パスが出来る迄の待ち時間。ミィコルは、私の荷物を指差し「それは、何?」と尋ねているようでした。私が、答えられずにいると「シンディに渡したい物が有ればそれだけを持って行きなさい。そしてその時が来れば私が話す」後から思えばその様な事を言っていたのでしょう。しかし、それでは計画がパーになってしまう。
だか、ミィコルの口調、表情で
「往生際が悪い。全て私に任せなさい。悪い様にしないから。」
なぜか、私はそう感じ
私は、彼女に身振り手振りで余計な物はここに置いて行くと伝えると理解してくれた様でした。その為に、感謝状をそのまま筒に納めてしまった。
そしてパスが出来上がり、いよいよホールに通された。ステージには、ウィリアム、スティーブ・ガボォゥリィ、スティーブ・ポッツ、そして、チャーリー・マッスルホワイトがサウンドチェック中。
本当に私はこの場所にいて良いのだろうか?
そして意外だったのは他の見学者は皆無だった事。
本当に私達だけだった。
一列目かぶりつきで見学。
夢の様な光景が目の前に広がる。
ミィコルがステージに上がり
チャーリーと談笑。
本当にミィコルは、何者?(笑)
私の横には、ミィコルのママが。
そして、ママは私に合図をしてきた。
何?
私は、ステージを見た。
聴いた事がある笑い声
笑みを浮かべながらゆっくりとステージ中央に向っていく。
「あっ‼ シンディだっ〜‼」
私は、もう固まってしまった。
ミィコルはシンディに気がつかない。
ママは、ミィコルを呼び付けてくれた。すると、ミィコル、がステージ上から私にステージに上がれと合図。ミィコルが私をシンディに紹介しようとした瞬間
コンサート責任者の方が
ミィコル、もう少し待てと合図。
すかさず、私も退散。

いよいよ
サウンドチェックが始まり
私の身体は固まりが解けリズムを刻み出す。
シンディはミィコルとママの間に座っているおかしな男に少々興味が湧いたのか、ステージからこちら側を見つめている。サウンドチェックの途切れた合間にシンディが私達の方に寄ってきてくれた。
すると、シンディ
私の顔をステージ上から覗きこむ様に見て
「Hi!」と声をかけてくれた。
私は、緊張の余り再び固まってしまい、「ハッ、ハハィ」と返すのが精一杯。

そして
いよいよその時が来ました。
サウンドチェックが終了。
シンディがステージから降りてきて私の所に近づいてきた。
すかさずミィコルがシンディに私を紹介。
予めミィコルにはRopaoと紹介しないでCYNDI LAUPER JAPANとは言わないでと伝えてあったのだが
ミィコルは、アッサリ「シンディ紹介するわ、あなたの事を日本で支えてくれてるRopaoよ。そしてあなたに日本の人々の感謝の気持ちを代表してあなたに伝えそして贈り物をしたいらしい。」そんな感じで伝えてくれたと思います。
私は、すかさず
去年、国旗を渡したのは私ですと英語で伝えたのですが
明らかに通じていない様でした。
するとシンディ
私の目をジッと見つめ
「あなたが、Bloggerの?」と
私に、聴いてきました。
私は、えっ⁈と思いました。
ミィコルには言わないでと
言っておきながら
いざ彼女が、私を知ってくれていたと分かった瞬間
私は、嬉しさの余り彼女の手を握り「yes!yes!yes!!」と彼女に言いました。
すると、彼女は私の顔を見つめ何とも言えない微笑みを含めた呆れ顏で、「Oh〜」と一言。「しょうがない人ね」と
彼女が
思っている事が伝わって来ました。(笑)
私は、その時ミィコルに
感謝状の英文を渡しシンディに読んでもらう様に頼みました。
ミィコルが感謝状の英文をシンディに聴かせている間
渋々筒に納めてしまった
日本文感謝状をシンディは
自から筒を開け感謝状を
取り出して興味深く見つめていました。
クリスタルの感謝盾に付いては刻まれた英文をシンディは声を出して読んでいました。
そして
シンディは「ありがとう。」と喜んでくれました。
感謝状の筒と感謝盾を右脇に抱えた彼女。
彼女の空いた左手が
私の左手を掴みされるがままに私を引き寄せハグしてくれました。
私は彼女に
「私は英語がわかりません。ごめんなさい。」と言うと
彼女は
「あら、私だって日本語ができないわよ。」と言ってくれました。
この時点で、計画を実行する必要が無くなりました。
しかし、無事彼女には日本の全てのファンの思い記念の盾を渡す事ができました。

そして
素晴らしい大阪の
コンサートが終了。
日本の熱いファン達とミィコルを含め打ち上げに。

しかし、ここでトラブルが
今日は通訳がいないため
ミィコルと上手く意思疎通ができません。
知らない間にミィコルは
ホテルに帰ってしまいました。
私達だけで、心斎橋 divaに
行く事に。

お店に、到着したら
ミィコルから携帯に着信とメールが沢山あり。
divaのママ、ビリーさんは
英語ができます。
代わりに電話して貰うと
ホテル迄迎えに来て欲しい
との事。
私は、慌ててホテル迄
ミィコルを迎えに行きました。
ホテルに着きタクシーの
運転手さんに待っている様に
伝え私は急いでロビー迄。
ミィコルの姿見つけ
「ミィコル‼」と呼んだ瞬間
ミィコルは誰かと
しゃべっている事に気が付きました。
ナント、シンディと
しゃべっていたのです。
私が「ミィコル!!」と呼ぶと
先にシンディが振り返り私に気が付いてくれました。
もう、私もテンパってしまい
何がなんだかわかりません。
しかしタクシーを待たせている事とミィコルをカラオケに連れて行く事が今の私の優先順位ともう一人の私が冷静に判断。まだ、ミィコルはシンディとの話に夢中で私に気がつきません。私がシンディの後ろまで近づいた瞬間、シンディのボディガードが私の腕を掴んで「何の様だ?」と言ってきました。
ムカついた私を
シンディは瞬時に判断したのか私に腕組みしmicolに写真を撮る様に計らってくれました。
流石、苦労人の裁き方は
違います。
そして私は、シンディとのツーショットが叶いました。

この日の出来事はミィコルの許可がないと発表しないでおこうと寝かしていました。
せっかくシンディと私を繋げてくれた意味を大事にしたいのです。好き放題したら、シンディが離れていくよと彼女は私に伝えたかったと思うのです。

プロジェクトCの協力者として
ミィコルは、参加してくれていました。
今回色々分析し
冷静に、判断すると
彼女は
今回の計画を知っていました。
余りにも無謀で失敗すると思ってくれたのではないか?
そう、考えると全ての理屈が通るのです。
だから、彼女が計らってくれたに違いない。
そう、思うのです。

今回
私はシンディに
感謝状と記念盾を
渡しました。
その名義は

"あなたに感謝している
全ての日本の人々一同より。"

と、してあります。

シンディも、理解してくれ
声に出し読みあげてくれ
非常に喜んで頂きました。

けして、
私は、傲った考えは持っていません。

この事で
一人でも溜飲が下がった方が
いらっしゃれば
幸いです。

1 件のコメント:

  1. 凄い!!Cyndiには感謝してもしきれなくて、地団駄踏んで居たけど!!感謝の盾を贈ったんですね!!Cyndiに気持ちが表せたことがとても嬉しいです!本当なら政府がするべきなのに。ありがとうございます!

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