2013年10月31日木曜日

Gap USのイメージキャラクターに シンディ・ローパーとビリー・ポーターが起 用されました。


Gap ギャップ
(Gap Inc.NYSE:GPS)は
アメリカ最大の
衣料品小売店。



自ら製品を企画し
自社製品として
委託生産させ
自らのチェーン店で
販売する製造小売業
(SPA:specialty store retailer of private label apparel)
という形態である。
これは、1986年に
GAPが提唱した
概念である。



概要
日本での事業編集

日本では1994年
(平成6年)
12月に日本法人
「ギャップジャパン株式会社」を
設立し
翌1995年(平成7年)に
第一号店を東京の
数寄屋橋阪急内に開店した。


さらに
1999年(平成11年)
には旗艦店を
東京・表参道の
商業施設「ティーズ原宿」
(渋谷区神宮前)に出店
約10年間に渡って
営業していた。



2011年
(平成23年)
新たな旗艦店として
「Gapフラッグシップ銀座」を
東京・銀座に開業。




なお
日本は
シンディとビリーが
イメージキャラクターに
起用されるどうかは
未定。

2013年10月22日火曜日

今年のCyndi Lauper & Friends: Home for the Holidays 参加メンバーが決 定!!


今年のHome for the Holidays
参加メンバーが決定しました。


参加メンバー

P!NK

JOSH GROBAN 

SUSAN SARANDON

NELLY FURTADO

INDIGO GIRLS

THE HIVES

INGRID MICHAELSON

MATT & KIM

HUNTER VALENTINE

THE CLIKS

AND
ROSIE O'DONNELL
AND MORE TO BE ANNOUNCED SOON


HOSTED BY CARSON KRESSLEY


今年で三回目になる
Cyndi Lauper & Friends: 
Home for the Holidaysは
2013年12月7日土曜日 
午後8時から
NY ビーコンシアターで
開催されます。

 

2013年10月21日月曜日

【なつかCM】 明治乳業 ロマノビンディ 1992



大のシンディファン 
FBフレンドの方
私が長年探していた
大変貴重なCMを
見つけ出してくれました。
ロマノビンディ‼︎

2013年10月14日月曜日

10月10日 ベン・キャメロン主催 ”ブロードウェイ・セッション” シンディ、ノリノリで会場は大爆笑‼︎

10月10日 
タイムズ・スクエア近くの
ローリー・ビーチマン・シアターで
定期的におこなわれている
ベン・キャメロン主催
”ブロードウェイ・セッション”

今回のゲストは
ブロードウェイで大ヒット
ミュージカル
”キンキーブーツ”のキャストと
シンディ・ローパー



シンディは単独で
ミュージカル
 南太平洋
( South Pacific )から
”Bali-Hai”
アニーよ銃をとれ
(Annie Get Your Gun)から
"You Can't Get A Man With A Gun" や
ケイ・バラードの真似をしながら
"Is There A Straight Man In The House?" を。
改めて彼女の懐の深さを
思い知らされた。


更には
ピアニストとの掛け合いも入れ
彼女自身も
非常に楽しみながら披露し
会場は大爆笑‼︎
観衆は大喜び‼︎
彼女が以前カラオケで
歌うことを
あまり好きでないと言っていた理由がこれでわかって
いただけるだろう。

最後は
”キンキーブーツ”のキャストとシンディ・ローパーで
アンドリュー・ゴールドの
”Thank You for Being a Friend: The Best of Andrew Gold”で
幕を閉めた。

2013年10月2日水曜日

8月31日 オーストラリア キャンベラ 彼女は、なぜ泣いたのか?最終回






三回に渡り
rockin’on 1994年 3月号
インタビュー を読んで頂いたが
それ以降の
彼女の歩みを
今一度、思い出し
感じて頂けれは幸いです。

2013年 8月31日
30 Anniversary
She's So Unusual
オーストラリア ツアー
キャンベラ 
ロイヤルシアター

タイム・アフター・タイムを
歌い始めた彼女は
直ぐに、べそをかき
観衆の前で泣き出した。
彼女がショーの最中
泣く事は多々ある。が
しかし
何時ものそれとは違った。

歌い終えた
彼女は観衆に向け話し始める

「今まで『オールディーズ』ツアー(的な事)は
やりたくなかったの。」

オールディーズ?
懐かしの曲、あの人は今?
巷では
ライバルと言われた
アーティスト達に差を
付けられた感が拭えず
シンディファンは
悪戯に
シンディはどうした?なんて
耳にする事や
言われる事が少なくない。

我が道を行き
信念を変えず貫いている
シンディ。

しかし実はその事を
彼女自身が一番気にしていた。
30周年だからといって
安易に懐かしの
コンサート的な事をするのには
抵抗があったのだろう。

しかし
2012年 
彼女自身を
カミングアウトした自伝本を発売
日本でも発売され
世界的なベストセラーに。

2013年
ミュージカル Kinky Bootsの
音楽をプロデュース。
米演劇界で最高の栄誉とされる
第67回トニー賞 ミュージカル部門オリジナル楽曲賞を受賞。
その事により彼女は
グラミー賞、エミー賞
トニー賞を受賞するという
偉業を達成し
見事に結果を出し
世界中に今一度
シンディ・ローパーの名を
知らしめた。

そういった事が自信になり
彼女は自分を単なる
"オールディーズパフォーマー"ではないと
思えたのだろう。

今になってやっと
昔の曲を歌ってパフォームする事を
楽しめる様になり
そしてそこには他にも選択肢が
あるという事を彼女自身が自覚し
30周年記念
She's So Unusual Tourを
彼女にとって新しい感じのツアーだと思え
アルバム
She's So Unusual の曲を
当時のオリジナルで歌う事を
心の底から楽しめたのだろう。

そして
タイムを歌い始めた時
彼女の頭の中で
その事が過り
オーストラリアのファン達の
シンディに対する熱い愛が
彼女を泣かす
誘い水にもなったのだろう。

そもそも
タイム・アフター・タイムは
観衆を泣かす曲

タイムを歌いながら
ベソをかきだし
泣きだした様子が何時もとは違い
いつ迄も泣き続ける彼女
ショーの雰囲気に
ただ感傷的になり
泣き出した様には思えなかった。

こうして理由を理解出来た時
彼女をより一層愛おしく思えた。

今回毎度の事ながら
部分的に人の話し声や
叫び声で聞き取れない状況を
私の突然の思いつきの戯れに
嫌とは、言わず
方々、手を尽くし協力して頂いた
木村びりいさんに
感謝いたします。
(^_−)−☆

2013年10月1日火曜日

8月31日 オーストラリア キャンベラ 彼女は、なぜ泣いたのか? パート3


rockin’on 1994年 3月号
インタビュー 最終稿

★ (笑)で、今作なのですが
オノ・ヨーコにインスパイア
されたというのは?

シン
「そう、三枚目のアルバムの後
私はもう絶対この仕事を
辞めてやるって思ってたの。
映画もやったけど
あの時は惨めな気分でね。
但しあの仕事のお陰で
デヴィッド、
もう一人のデヴィッド
(・ソーントン 現在の夫)と
出会えた訳だけど。
そんな時、ヨーコが
リヴァプールで催し物が
あるんだけど
参加しませんか?って
電話をくれたの。
それで乗り気になったんだけど
自分で音楽の
アレンジをしたいって言ったら
彼女が承諾してくれたので
リヴァプールに行って
10〜12人程のバンドと
仕事をしたの。
私がアレンジしたのよ
それが楽しくてね。
彼女が全部
快く承諾してくれて
時間も、ちゃんと取ってくれて
励ましてくれたわけ。
だから
彼女が私をまた
この道に連れ戻してくれたって
言えるわね。
彼等と
"ワーキング・クラス・ヒーロー"を
演奏して
これで『あぁ、私にも出来るんだわ。
今迄、何考えてたんだろう。』って
ハッとしたの(笑)。
それと
彼女の本
『グレープフルーツ』にインスパイアされて
"HAT FULL OF STARS"の曲も
書いたのよ。
19歳の時に書いたものなの
美しい夜空の星を見ながらね。」

★ あなたのアルバムを
振り返って見ると
常にハッピーで
前向きでありながら
以前にも増して包括的で
より愛情に満ちた世界が
感じられるのですが
年齢も関係してるんでしょうか?

シン
「年齢?40歳半って事が?(笑)」

★ いや (笑)
まぁ、まるで一人の女性の
成長過程を見ている様な
感じなんですけど。

シン
「アーティストとしては
もちろんそうよ。
アーティストとして成長しなければ
どうしようもないでしょ?
成長しなければ
私の存在の意味なんて
ないでしょ?
私は常に成長していたいし
80歳になっても何か凄い事を
やっていたいと思うわ。(笑)」

★ 多くのファンは
あなたの生き方や姿勢に
共感を覚えていると思うのですが。

シン
「私の生き方って
どういう意味で?」

★ あなたの優しさ、強さ
そしてキュートなところとか…

シン
「まぁ!キュートなところ?(笑)
『彼女、キュートよね。』って
言われるのよね(笑)」

★ (笑)。
結婚されたと聞きましたが
それで人生観が変わったりしましたか?

シン
「そうねぇ
よりハッピーになれたし
自分が愛されていると感じる様に
なったわね。
これは大切な事よ。
もちろん
良い時も悪い時もある…
例えば
ここ二ヶ月程、彼とは会っていないけど
努力してるわ。
でもね
音楽に結局全部折り込まれていくと思うの。
人生に自分が注ぎ込んだものが
大切なのよ。
自分の出せるもの
与えられるものにオープンな姿勢でいれば
その見かけ良かろうが悪かろうが
そのうち
これだというものに
出来上がっていくのよ。
道が開けてくる。
正直言うと
自分が結婚するとは
思いもしなかったし
結婚なんて
信じてもいなかったのよ。
ただ私は…
あら⁈
お腹が鳴っちゃった!
ゴメンナサイ…(笑)
私と結婚したい人が
いるかどうかは
知りたかったの。
デヴィッドと会って
二週間もしない内に私は
『この人なら楽しい人生が送れる。』って
思ってた。
彼も結婚を考え始めてた。
でも私は不安になったの。
映画俳優は簡単に結婚を決めたりするけど
私はそういう生き方は嫌だったから。
それで一緒に暮らしてみる事にしたんだけど
それで私の考え方も変化した。
彼が私の歌詞を見て
『シンディ、君は詩人だね。』って言ってくれたの。
そんな事言ってくれた人
初めてだったから
ビックリしちゃった(笑)。
そりゃ仕事関係の人は
いろいろ言ってくれるけど
それ以外の人で
そんな事言ってくれるなんてね。
デヴィッドは英文学の学士で…
ねっ!私が全うな英語を
話せる人を
知ってるなんて驚きでしょ?(笑)。
その上、彼は演劇の修士も修めてるから
詩にも、もちろん詳しいわけ。
そんな人から
そんな事を言って貰って
感激したし励まされた。
それが大きなきっかけとなって
それ以来
私は熱心に余計な手を加えないで
素直に自分の気持ちを
書き綴る様になったの。」

★ なるほど。
えー、大変残念なんですが
時間がなくなってしまったので…

シン
「これで大丈夫?
他に訊き残した質問はない?」

★ 山程あるのですが
でもとても楽しかったです。

シン
「そう?
これで私の話を分かって
もらえたかしら?
このアルバムの事を
より分かってもらえたかしら?」

★ はい、どうもありがとうございました。


rockin’on 1994年 3月号
インタビュー
三回に分け掲載したが
如何だったろうか?

アルバム
"HAT FULL OF STARS"や
自分のキャリア、考え方、結婚
希望に満ち
インタビューに応えている姿が
浮かんでくる。

しかしこれ以降
彼女の思い、方向性は
以前の様に
圧倒的には世の中に
受けいられない時代になっていく。
一方、ライバル視されていた
アーティスト達は成功を納め
人気を不動の物とし
シンディは大きく差を
付けられてしまう事になる。

彼女が世間でライバルと
言われていた人達と比べられたり
彼女のキャリアに付いて
何と言われ様が
我々ファンは
我が道を行き貫き通す
そんな彼女が大好きであり
愛し、支持をしている。
我々は誰と比べられ様が
何とも思わないのである。

が、しかし…意外だったのは
その事を、一番気にしていたのは
実は彼女だった。

次回に続く。