2011年5月25日水曜日

5月25日 シンディ・ローパー UNIQLO Tシャツ 6/25(土)世界同時発売 

私は、Google アラートにCyndi Lauper‏と
登録しています。
こうする事により
毎日、Cyndi Lauperの文字が入っている世界中のニュースが
Google アラートから、送られてきます。
そして昨日、その中でビックニュースが飛び込んできました。

VOGUE.talk Style blog
mayumiブログ様より
★シンディ・ローパー UNIQLO Tシャツに!イラストを使っていただきました!

私は、どうしても我がブログ読者にも
お伝えしたく、mayumi様に連絡を取りましたところ
直ぐにお返事をくださり
ありがたい事に、気持ちよく了解して頂きました。

ここからは、私が説明するより
見て頂く方が早いと思います。


VOGUE.talk Style blog
mayumiブログ
★シンディ・ローパー UNIQLO Tシャツに!イラストを使っていただきました!

こんにちは☆

3.11から2ヶ月

日本に向けて、ファッション界からぞくぞくとメッセージが送られています。

VOGUE.com


3.11当日、日本で震災を目の当たりにされたアーティストがいます。

シンディ・ローパー

親日家で知られる彼女は、
3年ぶりに行われる日本公演を控えていました。

未曾有の事態の中、ライブを続行するか否か
たくさんの時間を掛けて話し合われたそうです。
そこで彼女が決断したのは・・
【ライブ決行】
これは、とても大変な決断だったと思います。

ライヴに携わる大勢の方々が被災者なのです。

それでも、シンディが伝えたかった心は・・
きっとたくさんの人に届いたと思います。


長男の卒園式を控え、行くことが出来なかったライヴ。
動画でリアルタイムで配信されると聞き、大音量で視聴しました。

パソコンの前で椅子に座る私は・・・いつの間にか両手で膝を抱え、
涙を流していました。

何をやるにも【不謹慎】とゆう言葉がつきまとったあの時期。
【いい】とか【わるい】とか、そうゆう事をなんにも考えず
ただただ心に染み渡りました。
心にポッとあかりが灯ったように 温かかったんです。


その後、シンディが日本に贈ったメッセージに
私のイラストを使ってくださるとゆうご好意を頂きました。

本当に信じられませんでした。。

でも、真っ赤なルージュを引き 笑うシンディの笑顔は
きっとみんなを元気にしてくれる!と思い、
何度も何度も【True Colors】【Time After Time】を聴きながら一気に描きました。




シンディのメッセージと、
彼女の歌声に癒された私の絵が一緒にプリントされています。

発売日
6/25(土)世界同時発売

販売価格
1500円(税込み)


販売地域=ユニクロの直営店がある日本、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国、韓国、
台湾、香港、マレーシア、シンガポールのユニクロ店舗にて
日本、イギリス、中国、韓国、台湾ではユニクロオンラインストア上でも販売


売り上げ金は、被災地の方々に送られるそうです。

是非1枚!お求めいただけると嬉しいです★

下記URLから詳細をご覧下さい。
http://www.vogue.co.jp/special/charity/110524

次回は・・・シンディと私についてもう少し書かせてください~**


と、締めくくられています。
シンディと私(mayumi様)に、どんなやり取りがあったのか?
私も次回が楽しみで仕方ありません。
この続きは
VOGUE.talk Style blog
mayumiブログ様

http://blog.talk.vogue.co.jp/mayumi/
で、お楽しみ下さい。


しかし、こんな素敵なTシャツがたった1500円(税込み)で良いのか?
私は十枚買います。

mayumi様、今回はお世話になりました。
ありがとうございました。


2011年5月22日日曜日

5月22日“He's A Rebel”ダーレン・ラヴ  ジーン・ピットニー フィル・スぺクター 





フィル・スぺクターとジーン・ピットニー
“He's A Rebel”

この曲は、ジーン・ピットニーが
(http://cyndilauperbringyatothebrink.blogspot.com/2010/02/im-gonna-be-strong.html参照)
1962年に名プロデューサー 
フィル・スペクターがプロデュースしていたガール・グループのクリスタルズに提供し全米No.1となる。

しかし、調べていくうちに、色々な事が分かってきた。

“He's A Rebel”
この曲はジーン・ピットニー自身も唄い、“She's a Rebel”として発表している。

フィレスレコード設立前のフィル・スペクターがジーン・ピットニーをプロデュースしたことがあると聞くと
「そんなビッグなアーティストをプロデュースしたのか」と驚いてしまいますが
スペクターがピットニーの「Every Breath I Take」をプロデュースしたのは
ピットニーがスターになるよりも前の話です。
1950年代末期から60年代初頭にかけてのアメリカの音楽界では
歌手になりたいと願う人がまず作曲家として音楽業界に食い込むという例がよく見られます。
ピットニーも、音楽出版社に売り込んだ「Hello Mary Lou」が
1961年にリッキー・ネルソンによって取り上げられ
見事全米No.1ヒットになったことによって、音楽業界での足場を作りました。

そして歌手としてデビューする機会を得たピットニーは、自作の「Love My Life Away」で全米39位という
まずまずのヒットを果たします。続く2作目のシングルがキャロル・キング&ジェリー・ゴフィン作の
「Every Breath I Take」です。フィル・スペクターがプロデュースしたこのシングルは
ジーン・ピットニーの声の特質をうまく活かした魅力的な作品ですが
全米42位までしか上がらなかった為、ピットニーとスペクターの関係はこれ1作で終了します。

しかし、翌1962年にピットニーは作曲家としてスペクターに「He's A Rebel」を提供しています。
スペクターはクリスタルズでこの曲をレコーディングし、見事全米1位に輝きました。
West Coast Rock様より記事抜粋
とあるが、実は・・・・?


ダーレン・ラヴ / The Blossoms


ブラッサムズは1954年にロサンゼルスのフレモント高校の生徒たちによって結成されました。
当時はドリーマーズというグループ名でした。
メンバーはファニタ・ジェイムズ、アネット・ウィリアムズ
ナネット・ウィリアムズ、グロリア・ジョーンズの4人で
ダーレン・ラヴは結成時のメンバーではありません。
1955年にリチャード・ベリーというR&Bシンガーの
バックアップ・コーラスとしてデビューした彼女たちは
翌56年にはドリーマーズ単独でのレコード・デビューも果たしています。
これらのシングルは成功を収めませんでしたが、ドリーマーズは
バックアップ・コーラスと自身のレコーディングを並行して行い
ロサンゼルスの音楽界で着々とその地位を固めて行きます。

1957年には大手のキャピトルと契約を交わし
この時にブラッサムズと改名しています。
キャピトル時代にも商業的成功を勝ち得ることはできませんでしたが
1958年にはダーレン・ラヴがリード・ヴォーカリストとして加入
追ってウィリアムズ姉妹が脱退し、3人組のラインアップとなるという大きな変化が訪れます。

1961年には初めてのヒット曲である「Son-In-Law」を
インディー・レーベルのチャレンジから発表します。
その後のシングルは再びパッとしなくなりますが
バックアップ・コーラス・グループとしては
サム・クックやデュアン・エディなどの有名アーティストの
バッキングを担当するようになり、業界内では彼女たちは有名になっていました。

1962年
フィル・スペクターはクリスタルズの次のシングルとしてピッタリの
“He's A Rebel”という楽曲と出会います。
(作曲は彼がかつてプロデュースしたことがあるジーン・ピットニー)
しかし、この時のスペクターはロサンゼルスに拠点を移したばかりで
クリスタルズの面々はまだニューヨークにいました。
思い立ったらすぐにレコーディングしたいタイプのスペクターは
代わりのヴォーカル・グループにクリスタルズ名義で歌わせることを考えます。
この為にレスター・シルがスペクターに推薦したのがブラッサムズでした。
こうしてブラッサムズが歌っているにもかかわらずクリスタル名義で発売された
“He's A Rebel”はフィレスレコードにとって初のNo.1ヒットに輝きました。

続いてスペクターはダーレン・ラヴとファニタ・ジェイムズを
男性シンガーのボビー・シーンと組ませ
ボブ・B・ソックス&ザ・ブルージーンズとして
「Zip-a-Dee Doo-Dah」「Why Do Lovers Break Each Other's Heart?」
「Not Too Young to Get Married」といったヒット曲を発表しています。

並行してブラッサムズはクリスタルズの代役としてのレコーディングも続け
「He's Sure the Boy I Love」と「Da Doo Ron Ron」を録音しています。
但し、スペクターが「Da Doo Ron Ron」の出来映えを気に入らなかった為に
最終的にリード・ヴォーカルはクリスタルズのララ・ブルックスのものに差し替えられています。

このように、なかなか自己名義での活動ができなかったダーレン・ラヴですが
63年4月にはようやくダーレン・ラヴ名義(ラヴという芸名はスペクターによる命名)の
「(Today I Met) the Boy I'm Going to Marry」が発表されました。
その後、ラヴ名義で更に3枚のシングルが発表されています。
彼女は『A Christmas Gift For You』でも、唯一のオリジナル曲である
「Christmas (Baby Come Home)」を歌うという重要な役柄を任されています。

しかし、1964年にはスペクターの興味がロネッツに移り
ブロッサムズはフィレスを離れることになります。
その後彼女たちはテレビ番組『Shindig !』に出演し、数枚のシングルも残した他
バックアップ・コーラス・グループとしても活動を続け
ボビー・ダーリンやポール・アンカをサポートしています。

ソロとなった彼女は、フィレスレコードとしては珍しく
本格的なR&Bシンガーとして活動し、「(Today I Met)The Boy I'm Gonna Marry」などの
ヒットを放った。しかしスペクターに便利屋的な使われ方をされていたのも事実で
ソロとして活動しつつもロネッツやライチェス・ブラザーズの
バック・コーラスをやらされたりした。
フィレスレコードから離れた後は、ミュージカルやセッションの仕事をこなしつつ現在に至っている。
最近では映画『リーサル・ウエポン』にも出演した。
West Coast Rock様より記事抜粋

The Crystals・クリスタルズ

フィル・スペクターはフィレス設立以前にも多くのアーティストをプロデュースし
ヒットを飛ばして来ましたが、それらのプロデュース・ワークはアーティストや
レーベルの依頼を受けて行われたものであり、アーティストとスペクターの関係は
1~2枚のシングルで終わることが殆どでした。
しかし、1961年にレスター・シルと共にフィレスを設立したことにより
スペクターに“自分のアーティスト”を持つ機会が訪れます。
そんな時期に彼の目に留まったのがバーバラ・アルストン、ララ・ブルックス
ディー・ディー・ケニブリュー、メアリー・トーマス、パトリシア・ライトの
女性5人からなるコーラス・グループでした。スペクターは彼女達に
クリスタルズという名前を付け、フィレス第1弾アーティストとして売り出します。

1961年9月に発表されたデビュー・シングル「There's No Other」は全米20位まで
上がるヒットとなり、クリスタルズは幸先の良いスタートを切ることができました
続く「Uptown」は全米13位とチャート上の成績を順調に伸ばしています。

1962年の「He Hit Me」あたりからクリスタルズとスペクターの関係は
おかしくなっていきます。キャロル・キング&ジェリー・ゴフィン作の
この曲は恋人間でのドメスティック・ヴァイオレンスを肯定するような
過激な歌詞を持っており、クリスタルズの面々はこの曲を
レコーディングするのを嫌がったそうです。
スペクターの強要によって結局はレコーディングされたのですが
問題になることを恐れたラジオ曲がエアプレイを控えた為にヒットには至りませんでした。

この出来事がスペクターとクリスタルズの間に溝を生みました。
この時期にスペクターはブラッサムズのダーレン・ラヴに歌わせた
“He's A Rebel”と「He's Sure the Boy I Love」を
クリスタルズの名義で発売しています。

YOUTUBE
映像解説文に、こうあります。
このクリップは、少し残念です。
The Crystals を、He's A Rebelを唄っていません。
そして、この映像は ダーレン・ラヴ / The Blossomsの声に合わせて物まねをしています。


面白いことに“He's A Rebel”はクリスタルズにとって
初の全米1位に輝き、彼女達の最大のヒット曲となりました。

このヒットに気を良くしたのか
クリスタルズとスペクターの関係は一時的に好転し
1963年には正真正銘クリスタルズの面々が歌った「Da Doo Ron Ron」と
「Then He Kissed Me」をヒットさせています。
これらの曲はイギリスでも大ヒットした為、クリスタルズはイギリス公演を行い
スペクターも同行しています。この公演旅行の帰りにスペクターが
ビートルズと同じ飛行機に乗り、彼らをアメリカ人達に紹介したことはあまりにも有名です。

その後、スペクターがクリスタルズと同系統の
ガール・グループであるロネッツを見出し
そちらにより興味を示したことにより、彼とクリスタルズの関係は終焉を迎えます。
彼女達はクリスタルズという名前をスペクターから買い取ってフィレスを離れ
インペリアルに移籍します。しかし、さしたるヒットを残すこともなく
1966年に解散しています。尚、1970年代以降は断続的に再結成しており
オールディーズ・サーキットで活動している他、
ごくたまにレコーディングも行っているようです。
West Coast Rock様より記事抜粋

さて、ここからは私が。
Darlene Love and Cyndi Lauper sing He's a Rebel


 “Women Who Rock”コンサート 14日
メイヴィス・ステイプルズとの後に
シンディはダーレン・ラヴのバックコーラスに回って
披露した曲が“He's A Rebel”。
私はこの曲に聞き覚えがあった。
1991年横浜アリーナ
それは、Girls Just Want To Have Funの
間に、シンディが歌っていた曲であった。
誰の歌か、どんな歌かも分からなかったが今の今まで
耳に付いて離れなかった曲である。
5:11から始まります。

そして、横浜と今回の事は非常に関わり合いがあると思うのは
I´m gonna be strongも披露している。
シンディは、ブルーエンジェル時代から現在まで
ジーン・ピットニーの曲
I´m gonna be strongを歌い続けている。



そして今日の締めは
やはりこの人で締め括りましょう。
"He's A Rebel" - Darlene Love

2011年5月18日水曜日

5月18日 舞台袖に行き、激怒するシンディ。一体、何が?

Cyndi Lauper - She Bop
1:37 舞台袖に行き、激怒するシンディ。


昨日の記事
舞台袖に行き、激怒するシンディ。
その事に対して、私のtwitterフォロワーの方から御意見を頂きました。

「43秒と、1分24秒あたりの動作で分りますが、イヤホンの返しの音量が
大きすぎて耳が痛かったんだと思います。」

なるほど‼と、私も思いました。
そして今一度、見直してみましたが
御指摘の43秒と1分24秒当たりと
その前、23秒から30秒迄にも不自然な所が。

リズムに合わせて踊っている様に見えますが
26秒から右手を下に振り、素早く両方の耳を指し舞台袖に、合図をしています。
「もう、ダメ!!下げて!!早くして!!!」
そして、御指摘の43秒。ジョニ?と聞こえる。
右手で舞台袖を指差し、ゆっくり下げて行き「お願い、ジョニ。下げて。(~_~;)」
そして、1分24秒
「上がり過ぎ!!下げてって言ってるでしょ?」
そして間違いなく舞台袖に指を刺し
首切りのジェスチャー。
この時点で怒りは頂点に達したと思われる。

1分37秒、完全にリズムに乗るのを止め
ドラムのスティーブ・ポッツの前を通り
舞台袖に向かうシンディ。
スティーブ・ポッツの純真な子供の様な笑顔が印象的だ。
そして爆発!!!
そんな所ではないだろうか?私の推測だが。
しかし何か遭ったのは間違いないであろう。
彼女は、怒らすと本当に怖い。

1983 Money Change Everything



1分27秒
サービス精神旺盛のシンディは客席に近づく。
一斉に、さわりに来る男性ファン。
中には、シンディのステージ衣装を引っ張り
生地を剥がしてしまう者まで。

1分50秒
シンディ完全にキレる。
遂に報復開始。一発、二発、三発目の平手は見事に決まる!!!
その後、スタンドマイクを持ち威嚇する。
「かかってこんかい!!!」
そんなシンディが
私は、大好きです。(笑)

2011年5月17日火曜日

5月17日 “Women Who Rock”コンサート 14日の模様

それは、究極の女性の為の夜だった。
ロックの殿堂での“Women Who Rock”コンサート。
ワンダ・ジャクソン、メイヴィスステイプルズ、ダーレン・ラヴ
クリーブランドの公開講堂で女性の為のお祭りは、
土曜日の夜、華やかに行われた。


ダーレン・ラヴ、メイヴィス・ステイプルズ,シンディ、そして、サプライズゲストのロニー・スペクター
ワンダ・ジャクソン、ダーレン・ラヴ、メイヴィス・ステイプルズ
いずれもシンディの大先輩達。

メイヴィス・ステイプルズが
シンディに対し
「シンディ!あなた自身がロックよ!!」 と言うと
シンディは
「そうなるやり方を、あなたに教わったのよ!!」と返す。
メイヴィスは後に、The Weightを披露する時に
シンディを、ステージに呼び入れる。
Mavis Staples w/ Cyndi Lauper - The Weight






Cyndi Lauper - She Bop
1:37 舞台袖に行き、激怒するシンディ。
一体、何が?

コンサートでは、すべてのアーティストが3〜4曲を披露した。

SET LIST:

WANDA JACKSON

Riot in Cell Block #9
You Know I'm No Good
Shakin' All Over
Let's Have a Party

CURT SMITH

Shout
Sowing the Seeds of Love
Everybody Wants to Rule the World

CHUCK JACKSON

Since I Don't Have You
Any Day Now
I Don't Want to Cry

MAVIS STAPLES

Wrote a Song for Everyone
The Weight
I'll Take You There

DARLENE LOVE

(Today I Met) The Boy I'm Gonna Marry
Da Doo Ron Ron
He's a Rebel

CYNDI LAUPER

She Bop
The Goonies 'R' Good Enough
Down Don't Bother Me
Girls Just Want to Have Fun
I'm Gonna Be Strong
True Colors

なお、Girls Just Want to Have Funでは
サプライズゲストとしてロニー・スペクターが参加。
"Girls Just Wanna Have Fun"
コンサートは3,000人以上のファンを集め
収益は、ロックホールの教育プログラムに充てられる。

2011年5月16日月曜日

5月16日 シンディは、ワンダ・ジャクソン、ダーレン・ラヴと共に・・・



5月14日
シンディは、ワンダ・ジャクソン、ダーレン・ラヴと共に
“Women Who Rock: Vision, Passion, Power”を訪れました。
フロアは、8セクションに分かれています。
現在と過去の他の音楽ジャンルで、女性ミュージシャン達は
独自の方法で音楽表現してきました来ました。
女性アーティストの貢献を展示されている中を
歩くと彼女達はそれぞれに感激していました。

ワンダ・ジャクソン、ダーレン・ラヴと



自分の衣装や映像を見て昔を懐かしむシンディ。

速報!! 14日コンサートの模様

シンディ、メイヴィスステイプルズと

2011年5月14日土曜日

5月14日米オハイオ “Women Who Rock: Vision, Passion, Power”






5月13日金曜日
米 オハイオ州のRock and Roll Hall of Fame + Museumで
“Women Who Rock: Vision, Passion, Power”が始まった。
最高の、有名な、そして時には、あまり知られていない女性アーティスト等
アメリカ女性のロックンロール音楽文化を伝える主旨で開催されます。
70以上の女性アーティストの衣装、楽器、手書きの歌詞、ビデオ等の展示が始まりました。
シンディは、She's So Unusualのアルバムジャケットに使用されたドレスを提供しています。



展覧会を祝し、“Women Who Rock”は、ロック・ホールで土曜日(5月14日)に
オールスター・コンサートが開催されます。
主な出演予定者
ワンダ・ジャクソン、シンディ・ローパー、ダーレン・ラヴ、マーヴィス・ステイプル
詳しくは、ここをクリック
http://rockhall.com/event/spring-benefit-2011/




2011年5月12日木曜日

5月12日  未確認情報 現時点で否定的意見あり レディー・ガガ ニュー・アルバムBorn This Way シンディ参加か?




twitterで、騒がれ始めました。
収録曲 1. マリー・ザ・ナイトにシンディ参加か?
急に出てきた情報だけに、現時点で否定的意見あり
本当だとしたら凄い事!続報を待て!!

2011年5月9日月曜日

5月9日 Aracade Fireのライブ シンディ、ダルシマーで参加



5日 ニューオリンズジャズフェスティバル
出番を終えたシンディは、
Aracade Fireのライブのアンコールに参加し
”Girls Just Wanna Have Fun”をArcade Fireとともに披露した。




Arcade Fire 彼等はこの”Girls Just Wanna Have Fun”をよくライブでカバーしているようです。

過去の映像から。

そして、シンディが今度はダルシマーで参加!!
Arcade Fire with Cyndi Lauper - "Sprawl II (Mountains Beyond Mountains)"



2011年5月7日土曜日

5月7日 ニューオリンズジャズフェスティバル







5月5日
ニューオリンズジャズフェスティバルに、シンディが出演。
観衆に、アルバム メンフィスブルースに含まれていない
"Lead Me On"を披露した。
この日のメンバーは、いつものメンバーに加え
チャーリーミュッセルホワイトも参加した。

彼女は、ステージ上で黒と青のセカンドラインの入った
日傘を手に持ち"Just Your Fool"を唄い始めた時に
客席の最前列にいた、アラン・トゥーサンの姿を見つけ
一緒にと、誘ったのだが
アランは残念ながらステージには上がらなかった。

all through the night



迫力のシンディ



憧れのシンディを前に、開いた口が塞がらない少女。


2011年5月6日金曜日

5月6日 メンフィスブルースワールドツアー ステージ衣装Part 1  

メンフィスブルースワールドツアー ステージ衣装
2010年6月から~


2010年6月
グットモーニングアメリカから。
正確に言えば、これはコンサートではないのだが
メンフィスブルースのステージ衣装は
この、コンセプトで進められていたのであろう。
この日、初披露した”Don't Cry No More”
シンディは、足が長く美しいので
非常に様になる。



6月25日
しかし、ツアー初日ニュージャージー・モリスで
赤のウイッグ・シースルーのガウン・豹柄のミニワンピースに
あっさり衣装を変えてしまうシンディ。
彼女らしいといえば、それまでなのだが。



6月26日
マサチューセッツ州・ボストン
この日は、白のシースルーシャツ・ベスト。



6月27日
コロラド州・エングルウッド
シースルーのガウンに、ブルーの豹柄のショートパンツ。
本当に、彼女の足は美しい。



6月30日
シカゴ
ここで、レザーの衣装が使われた。
この後
レザーの衣装は、大きく分けて
3タイプ確認されている。
その明細は後日。

今日は、ここまで。