その前に
シンディバンドの新しいギタリストの名前が判明
名前はKeith(キース)。経歴などは依然不明
新しい情報が入り次第お知らせします。
米演劇界で最高の栄誉とされる第67回トニー賞が9日
ニューヨークで開催され、「キンキーブーツ(Kinky Boots)」は
その他、ミュージカル部門の主演男優賞など計6部門で受賞した。
シンディは
BEST ORIGINAL SCORE(オリジナル楽曲賞)を受賞。
彼女はこれで
グラミー賞、エミー賞、トニー賞を受賞をするという
快挙を成し遂げた。
なにかと日本に縁があるようだ。
近い将来日本上陸も可能性が無い訳ではない。
下記の記事をご覧頂こう。
株式会社アミューズより
このたび、アメリカ・ニューヨークで6月9日に発表された「第67 回トニー賞」において
アミューズ出資ミュージカル作品「キンキーブーツ(Kinky Boots)」が
ミュージカル部門で最多12 部門ノミネートを果たし
ベストミュージカル(作品賞)を含む6部門を受賞いたしました。
(※トニー賞は1947 年に始まったアメリカの権威ある演劇賞。
ニューヨーク・ブロードウェイで公演された作品を対象とし
トニー賞受賞はアメリカ演劇界で最高の名誉と言われています。)
受賞作「キンキーブーツ」は2005 年公開のイギリスのコメディ映画を
ミュージカル化したもので
シンディー・ローパーが音楽を担当したことでも話題の作品です。
ブロードウェイのアル・ハーシュフェルド劇場において2013 年4 月4 日より上演中です。
http://kinkybootsthemusical.com/<「キンキーブーツ」受賞部門>
1.BEST MUSICAL(作品賞)
2.BEST ORIGINAL SCORE(オリジナル楽曲賞):Cyndi Lauper シンディ・ローパー
3.BEST PERFORMANCE BY AN ACTOR IN A LEADING ROLE IN A MUSICAL
(主演男優賞):Billy Porter ビリー・ポーター
4.BEST CHOREOGRAPHY(振付賞):Jerry Mitchell ジェリー・ミッチェル
5.BEST SOUND DESIGN OF A MUSICAL(編曲賞):Stephen Oremus
スティーヴン・オルムズ
6.BEST SOUND DESIGN OF A MUSICAL(音響賞):John Shivers ジョン・シヴァーズ
米トニー賞に日本人参加作 川名さんらミュージカル製作
2013年06月10日12時15分
米国演劇界で最高の栄誉である第67回トニー賞の授賞式が9日夜、ニューヨークで始まった。
ミュージカル部門の作品賞では、ブロードウェーを拠点に活動している川名康浩さん(52)が
プロデューサーを務める「キンキー・ブーツ」が候補になっている。
川名さんが関わったミュージカルがトニー賞候補となるのは
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(2011年、作品賞)
「エビータ」(12年、リバイバル作品賞)に続いて3年連続。
昨年と一昨年はいずれも受賞を逃した。
日本企業がプロデュースに加わったミュージカルでは1991年に
日本衛星放送の「ウィル・ロジャーズ・フォーリーズ」が作品賞
92年にテレビ朝日の「ガイズ・アンド・ドールズ」がリバイバル作品賞を受賞している。
トニー賞「バランスが評価された」 川名さん喜び語る
2013年6月10日14時32分
【ニューヨーク=真鍋弘樹、中井大助】
トニー賞で作品賞を獲得した
ミュージカル「キンキー・ブーツ」のプロデューサーを
務めた川名康浩さん(52)は
「会場でキンキーの最初のKの発音を聞き
仲間と抱き合って喜んだ。飛び上がるように舞台に上がりました」と語った。
川名さんの過去記事はこちら
「自分たちが信じて作り上げた作品が評価され、本当にうれしい」。
受賞理由については「理屈抜きに楽しいエンターテインメントであると同時に
『人と違うこと』は悪いことではないというしっかりとしたテーマがある。
バランスが評価されたのでは」と話す。
川名さんがプロデュースをした
ブロードウェーのミュージカルはこれで5作目で
3年連続でトニー賞の候補となった。
劇団四季で俳優を経験した後、1993年に渡米。
ブロードウェー業界に足を踏み入れて15年以上になるが
現在は日本に住み、ニューヨークと行き来しながら
ミュージカル制作に携わっている。
「これが最終目標ではないので
これからも切磋琢磨(せっさたくま)して良いショーを作り続けたい」と
今後の抱負を語った。
川名康浩さん、元手もなくコネもなくNYでひとり立ち
(2009年9月21日、グローブ24号<突破する力>)
午後11時、米シアトルの劇場で
新作ミュージカル「Catch Me If You Can」の
試演が終わった。
観客は2000人超、口々に作品の出来や印象などを語りながら出口へ向かう。
「主演男優が最高!」
「でも歌が多かったな。全体でも3時間だよ。長すぎない?」
「踊りもまだちぐはぐに見えた」
「いやこれは見ごたえ十分。傑作だ。必ずヒットするよ」
客同士のそんな会話をひとつでも多く拾おうと
ブロードウェー・プロデューサー川名康浩(48)は
通路の隅で耳をそば立てていた。見終えた直後のつぶやきにはウソがない。
どれも脚本の練り直しや演出見直しの糧になるからだ。
シアトルでの試演は3週間に及んだ。
川名は連日、客にまじって一般席から舞台を見つめた。
どの場面で客があくびをかみ殺したか
どの演技で狙った笑いが起こらなかったか
どの俳優のダンスが浮いて見えたか。
課題を毎夜の打ち合わせで検討し、反応がかんばしくない場面はばっさり削った。
「Catch Me」は、ニューヨークの劇場街を
15年間走り回ってきた川名が
独立したプロデューサーとして初めて世に出す作品である。
来春、ブロードウェーでの本公演に向け
これから予算や劇場の規模、俳優の顔ぶれが決まる。
どれも川名とアメリカ人プロデューサー2人の手腕次第だ。
作品の舞台は60年代の米国、当時あこがれの職業だった
パンアメリカン航空のパイロットになりすました17歳の若者が
天才的な話術と詐術を駆使して大金をつかむ。
ばれると今度はニセ医師として病院にもぐり込み
最後は弁護士のふりをして周囲を手玉にとる。
「やれるものなら捕まえてみろ」。
10代の詐欺師がベテラン捜査官を挑発する。
追いつ追われつの2年間
ふたりの間には奇妙な連帯感が芽生える――。
作品は実話に基づき、主人公の詐欺師フランク・アバグネイルは
自分の歩みを小説にして出版
スティーブン・スピルバーグの手で映画化された。
川名は、舞台作品化する前、アバグネイルに直接会っている。
話してみて、自分が似ていることに驚いた。
「元手もなく、つてもなく、専門分野の勉強をしたわけでもないのに
度胸ひとつで、憧(あこが)れた世界に飛びこんでしまう。そっくりでした」
もともと川名は舞台俳優だった。
劇団四季に入団し
出演した「ジーザス・クライスト=スーパースター」では
キリストの使徒の役や、ヘロデ王に仕える花魁(おいらん)を演じた。
子供向けのミュージカルやテレビの連続ドラマにも数多く登場。
時代劇でかつらを着けてチャンバラをやったこともある。
役者として限界を感じたのは、ちょうど10年目にさしかかったころ。
タイツをはいて日々の屈伸運動をする自分になじめず
「一生の仕事ではない」と思うようになった。
93年、映画を勉強するつもりで渡米。
劇団四季の先輩に誘われてロサンゼルスからニューヨークに移り住む。
日本の大手芸能事務所の仕事をしながら、大学で映画学を勉強し
ブロードウェーに通い詰め、プロデューサーの道に。
最初に直面したのは英語の壁だ。舞台鑑賞なら何とかなっても
出資者探しや弁護士との交渉となると片言では済まない。
夜、帰宅すると両耳の脇が痛くてたまらない。
英語を聞き取ろうと一日中、耳にギュッと力を入れ続けたせいだった。
それでも、必要に迫られて台本を読みあさったおかげか
口語ならではの言い回しが少しずつ増えた。
「通訳を介した商談でブロードウェーに根を張ることはできない」と
自分流の英語を貫き、今ではオーディションから配当の説明まですべて英語でこなす。
しばしば指摘されることだが、米国のショービジネス界は劇場主から演出家まで
名のある人物はユダヤ系がほとんどだ。
川名にすぐれた企画力があっても、十分な資金力を示さないと相手にされない。
「君に日本公演を任せたい」などと二流、三流の作品を押しつけられるばかりだ。
ブロードウェーではプロデューサーの評価は
見ごたえのある作品を制作できるか
「エンジェル」と呼ばれる出資者をどれだけ集められるかで決まる。
作品ひとつの立ち上げに10億~20億円が必要とされる昨今
大口のエンジェルを何人抱えるかが勝負の分かれ目になる。
川名は、ブロードウェーでふるわなかった作品を
日本へ輸出する仕事の誘いを固く断ってきた。
成功した作品の日本公演なら引き受けたが
それよりも、川名が心底、夢中になれたのは
まだ誰も見ていない意欲作をブロードウェーでヒットさせる仕事だった。
「私がほれ込んだ作品を
東京や大阪ではなく、本場の米国で上演したい」
情熱あふれる口調で説いて回り、日本国内でもエンジェルを開拓した。
これまでに制作にかかわった「Legally Blonde」と
「West Side Story」が実際にヒットしたこともあって
10年前に百万円単位だった川名の資金調達力は億単位に達した。
「Catch Me」が川名にとって格別なのは
「Above The Title」と呼ばれるポストに
到達できた喜びがあるからだ。公演プログラムで
作品名より高い位置に名前が書かれるプロデューサーらを指す。
プロデューサーとして一本立ちできた証しだ。
意外なことに、ブロードウェーはこの不況下でも活気に満ちている。
年間1200万人が足を運び、売り上げは900億円を上回る。
「ショービジネスの世界に与えた打撃でいえば、不況よりも
むしろ9・11テロの方が深刻でした。路上から笑いが消え
ショーを楽しむ雰囲気ではなかった」と川名はふりかえる。
劇場街のまん中にあるレストラン「サーディーズ」には
人気俳優や脚本家、作詞・作曲家の似顔絵が壁一面に
約700枚掲げられている。一つの作品を世に出すのには
3年から5年はかかる。この先、自分がほれ込んだ作品をひとつでも多くプロデュースし
できるだけロングランさせたい。
そんな努力が認められ、いつかこの店に自分の似顔絵を掲げてもらうのが、川名の夢である。
(文中敬称略)
(文・山中季広/ニューヨーク支局長 写真・坂本真理)
かわな・やすひろ
Yasuhiro Kawana
ブロードウェー・プロデューサー
1961年、東京・荻窪生まれ。
84年、俳優をめざして、劇団四季演劇研究所に入る。
93年に渡米、ニューヨーク大で映画を専攻。
98年、ニューヨークで川名エンターテインメント社を設立した。
朝日新聞デジタルより
2013年06月10日12時15分
米国演劇界で最高の栄誉である第67回トニー賞の授賞式が9日夜、ニューヨークで始まった。
ミュージカル部門の作品賞では、ブロードウェーを拠点に活動している川名康浩さん(52)が
プロデューサーを務める「キンキー・ブーツ」が候補になっている。
川名さんが関わったミュージカルがトニー賞候補となるのは
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(2011年、作品賞)
「エビータ」(12年、リバイバル作品賞)に続いて3年連続。
昨年と一昨年はいずれも受賞を逃した。
日本企業がプロデュースに加わったミュージカルでは1991年に
日本衛星放送の「ウィル・ロジャーズ・フォーリーズ」が作品賞
92年にテレビ朝日の「ガイズ・アンド・ドールズ」がリバイバル作品賞を受賞している。
トニー賞「バランスが評価された」 川名さん喜び語る
2013年6月10日14時32分
【ニューヨーク=真鍋弘樹、中井大助】
トニー賞で作品賞を獲得した
ミュージカル「キンキー・ブーツ」のプロデューサーを
務めた川名康浩さん(52)は
「会場でキンキーの最初のKの発音を聞き
仲間と抱き合って喜んだ。飛び上がるように舞台に上がりました」と語った。
川名さんの過去記事はこちら
「自分たちが信じて作り上げた作品が評価され、本当にうれしい」。
受賞理由については「理屈抜きに楽しいエンターテインメントであると同時に
『人と違うこと』は悪いことではないというしっかりとしたテーマがある。
バランスが評価されたのでは」と話す。
川名さんがプロデュースをした
ブロードウェーのミュージカルはこれで5作目で
3年連続でトニー賞の候補となった。
劇団四季で俳優を経験した後、1993年に渡米。
ブロードウェー業界に足を踏み入れて15年以上になるが
現在は日本に住み、ニューヨークと行き来しながら
ミュージカル制作に携わっている。
「これが最終目標ではないので
これからも切磋琢磨(せっさたくま)して良いショーを作り続けたい」と
今後の抱負を語った。
川名康浩さん、元手もなくコネもなくNYでひとり立ち
(2009年9月21日、グローブ24号<突破する力>)
午後11時、米シアトルの劇場で
新作ミュージカル「Catch Me If You Can」の
試演が終わった。
観客は2000人超、口々に作品の出来や印象などを語りながら出口へ向かう。
「主演男優が最高!」
「でも歌が多かったな。全体でも3時間だよ。長すぎない?」
「踊りもまだちぐはぐに見えた」
「いやこれは見ごたえ十分。傑作だ。必ずヒットするよ」
客同士のそんな会話をひとつでも多く拾おうと
ブロードウェー・プロデューサー川名康浩(48)は
通路の隅で耳をそば立てていた。見終えた直後のつぶやきにはウソがない。
どれも脚本の練り直しや演出見直しの糧になるからだ。
シアトルでの試演は3週間に及んだ。
川名は連日、客にまじって一般席から舞台を見つめた。
どの場面で客があくびをかみ殺したか
どの演技で狙った笑いが起こらなかったか
どの俳優のダンスが浮いて見えたか。
課題を毎夜の打ち合わせで検討し、反応がかんばしくない場面はばっさり削った。
「Catch Me」は、ニューヨークの劇場街を
15年間走り回ってきた川名が
独立したプロデューサーとして初めて世に出す作品である。
来春、ブロードウェーでの本公演に向け
これから予算や劇場の規模、俳優の顔ぶれが決まる。
どれも川名とアメリカ人プロデューサー2人の手腕次第だ。
作品の舞台は60年代の米国、当時あこがれの職業だった
パンアメリカン航空のパイロットになりすました17歳の若者が
天才的な話術と詐術を駆使して大金をつかむ。
ばれると今度はニセ医師として病院にもぐり込み
最後は弁護士のふりをして周囲を手玉にとる。
「やれるものなら捕まえてみろ」。
10代の詐欺師がベテラン捜査官を挑発する。
追いつ追われつの2年間
ふたりの間には奇妙な連帯感が芽生える――。
作品は実話に基づき、主人公の詐欺師フランク・アバグネイルは
自分の歩みを小説にして出版
スティーブン・スピルバーグの手で映画化された。
川名は、舞台作品化する前、アバグネイルに直接会っている。
話してみて、自分が似ていることに驚いた。
「元手もなく、つてもなく、専門分野の勉強をしたわけでもないのに
度胸ひとつで、憧(あこが)れた世界に飛びこんでしまう。そっくりでした」
もともと川名は舞台俳優だった。
劇団四季に入団し
出演した「ジーザス・クライスト=スーパースター」では
キリストの使徒の役や、ヘロデ王に仕える花魁(おいらん)を演じた。
子供向けのミュージカルやテレビの連続ドラマにも数多く登場。
時代劇でかつらを着けてチャンバラをやったこともある。
役者として限界を感じたのは、ちょうど10年目にさしかかったころ。
タイツをはいて日々の屈伸運動をする自分になじめず
「一生の仕事ではない」と思うようになった。
93年、映画を勉強するつもりで渡米。
劇団四季の先輩に誘われてロサンゼルスからニューヨークに移り住む。
日本の大手芸能事務所の仕事をしながら、大学で映画学を勉強し
ブロードウェーに通い詰め、プロデューサーの道に。
最初に直面したのは英語の壁だ。舞台鑑賞なら何とかなっても
出資者探しや弁護士との交渉となると片言では済まない。
夜、帰宅すると両耳の脇が痛くてたまらない。
英語を聞き取ろうと一日中、耳にギュッと力を入れ続けたせいだった。
それでも、必要に迫られて台本を読みあさったおかげか
口語ならではの言い回しが少しずつ増えた。
「通訳を介した商談でブロードウェーに根を張ることはできない」と
自分流の英語を貫き、今ではオーディションから配当の説明まですべて英語でこなす。
しばしば指摘されることだが、米国のショービジネス界は劇場主から演出家まで
名のある人物はユダヤ系がほとんどだ。
川名にすぐれた企画力があっても、十分な資金力を示さないと相手にされない。
「君に日本公演を任せたい」などと二流、三流の作品を押しつけられるばかりだ。
ブロードウェーではプロデューサーの評価は
見ごたえのある作品を制作できるか
「エンジェル」と呼ばれる出資者をどれだけ集められるかで決まる。
作品ひとつの立ち上げに10億~20億円が必要とされる昨今
大口のエンジェルを何人抱えるかが勝負の分かれ目になる。
川名は、ブロードウェーでふるわなかった作品を
日本へ輸出する仕事の誘いを固く断ってきた。
成功した作品の日本公演なら引き受けたが
それよりも、川名が心底、夢中になれたのは
まだ誰も見ていない意欲作をブロードウェーでヒットさせる仕事だった。
「私がほれ込んだ作品を
東京や大阪ではなく、本場の米国で上演したい」
情熱あふれる口調で説いて回り、日本国内でもエンジェルを開拓した。
これまでに制作にかかわった「Legally Blonde」と
「West Side Story」が実際にヒットしたこともあって
10年前に百万円単位だった川名の資金調達力は億単位に達した。
「Catch Me」が川名にとって格別なのは
「Above The Title」と呼ばれるポストに
到達できた喜びがあるからだ。公演プログラムで
作品名より高い位置に名前が書かれるプロデューサーらを指す。
プロデューサーとして一本立ちできた証しだ。
意外なことに、ブロードウェーはこの不況下でも活気に満ちている。
年間1200万人が足を運び、売り上げは900億円を上回る。
「ショービジネスの世界に与えた打撃でいえば、不況よりも
むしろ9・11テロの方が深刻でした。路上から笑いが消え
ショーを楽しむ雰囲気ではなかった」と川名はふりかえる。
劇場街のまん中にあるレストラン「サーディーズ」には
人気俳優や脚本家、作詞・作曲家の似顔絵が壁一面に
約700枚掲げられている。一つの作品を世に出すのには
3年から5年はかかる。この先、自分がほれ込んだ作品をひとつでも多くプロデュースし
できるだけロングランさせたい。
そんな努力が認められ、いつかこの店に自分の似顔絵を掲げてもらうのが、川名の夢である。
(文中敬称略)
(文・山中季広/ニューヨーク支局長 写真・坂本真理)
かわな・やすひろ
Yasuhiro Kawana
ブロードウェー・プロデューサー
1961年、東京・荻窪生まれ。
84年、俳優をめざして、劇団四季演劇研究所に入る。
93年に渡米、ニューヨーク大で映画を専攻。
98年、ニューヨークで川名エンターテインメント社を設立した。
朝日新聞デジタルより
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