2010年2月26日金曜日
シンディ・ローパー&ルーカス・シルベイラ(The Clicks) Money Changes Everything
みんな握手を求めてきて
微笑を浮かべ
お酒をご馳走してくれる
口を開けば
あなたの仲間だ
最後まで見捨てないよと言うけれど
みんな結局は自分の事しか考えていない
誰を信頼すればいいかと言っても
要するに自分の儲けに繋がればいいのよね
すべてはもうお手上げなの
お金があらゆる事を変えてしまう・・・・・・・
Money Changes Everything
本当に、いい詩だと思います。
私は、お酒をご馳走になり
見捨てられました。
だから余計に身に染みます。
さて、本題に入りましょう。
シンディの、
コンサートのセットリストは
昔の曲の方が多いです。
アルバムを出さなかった事も
多少は、関係あるでしょうが
{未だに、世に出ていない(CD化されていない)曲が沢山有ります。}
マンネリだと思われがちですが
年々、アレンジしているので
飽きさせません。
今回は、Money Changes Everythingで聞き比べてみましょう。
JAPAN 1991 YOKOHAMA Money Changes Everything
1991年の、横浜アリーナ。
これはもう、オリジナルの完成バージョンと
言っても良いでしょう。
続いて
アコースティックな、Money Changes Everythingライブバージョン
アルバム ザ・ボディ・アコースティックから
さて、今回一番ご紹介したいのは、
True Colors 2008 Tourでシンディと絡んだ
The Clicksのリードボーカル
ルーカス・シルベイラ
The Cliks - "Dirty King"
ボーイッシュな彼女、実はトランスジェンダー。
精神(心)は男らしい。凄くヤンチャで逞しそう。
この、ルーカス・シルベイラ
2008年、RADIO CITY True Colors Tourで
シンディとMoney Changes Everything を
歌った。
いや、勝負したと言った方がいいのかも。
いい試合でした。
2008 RADIO CITY Money Changes Everything Cyndi Lauper & Lucas Silveira
次は、3月1日です。
お楽しみに。
2010年2月24日水曜日
シンディ・ローパー ロイ・オービソン I Drove All Night
ロイ・オービソン
ロイ・ケルトン・オービソン
(1936年4月23日 - 1988年12月6日)は、
アメリカ合衆国・テキサス州ヴァーノン出身の歌手。
故郷でのタレント活動などを経て1955年にレコード・デビューし、
伸びやかなファルセットが特徴的な歌声と
ロカビリー調の楽曲で1960年代前半から
中盤にかけて大きな成功を集めた。
1980年代にはジョージ・ハリスンとジェフ・リンによる
覆面プロジェクト「トラベリング・ウィルベリーズ」の
メンバーとしても活動した。
代表曲に「オー・プリティ・ウーマン」
「オンリー・ザ・ロンリー」などがある。
愛称ビッグ・オー(The Big O)。
Roy Orbison - I Drove All Night
Roy Orbison - Pretty Woman
1988年にはジョージ・ハリスンとジェフ・リンによって
結成されたスーパーバンド「トラベリング・ウィルベリーズ」に
ボブ・ディラン、トム・ペティとともに参加。
メンバーがそれぞれ変名を名乗ったこのバンドにおいて、
オービソンは「レフティ・ウィルベリー」という偽名で参加した。
ウィルベリーズのアルバム
『トラベリング・ウィルベリーズ ヴォリューム・ワン』は
全米のビルボードのアルバムチャートで
トップ10以内にランクインする大ヒットを記録し、
このアルバムの成功によって彼は久々にミュージック・シーンの
第一線にカムバックすることとなった。
しかしその矢先の同年12月6日、オービソンは心筋梗塞のため急逝。
52年の短い生涯に終止符を打った。
1960年代に各国で
その音楽が親しまれた彼の突然の訃報は世界に衝撃を与え、
死後に発表された遺作『ミステリー・ガール』や
シングル「ユー・ガット・イット」は久々のヒットとなっている。ウィキペディア(Wikipedia)より転載
シンディを、リスペクトしているセリーヌ・ディオンの「I Drove All Night 」
この、「I Drove All Night 」
1987年に録音されたのだが
ロイオービソンが亡くなってしまい、
シンディーがカヴァーした「I Drove All Night 」が
1988年に先に出てしまった。
その後、ロイオービソン「I Drove All Night 」はPVになるが
そのPVに出演していたのが、ジェニファー・コネリー。
その後、色々な歌手がカバーするが
誰が何と言おうが「I Drove All Night 」は
シンディです。
1988年、当時初披露
テレビライブ「I Drove All Night 」
2010年2月23日火曜日
完成 シンディ・ローパー&トーリ・エイモス Cyndi Lauper &Tori Amos "Why Don't You Love Me?"
##アルバム"Here Lies Love”のコンセプトは
元ファーストレディ、
フィリピンのイメルダマルコスの人生に付いてです。
デービッドバーンとファットボーイスリムの間で協同において
製作されるアルバムです。
シンディは、このアルバムの中で二曲担当しています。
"Eleven Days" & "Why Don't You Love Me?"トーリ・エイモスと。
アルバム"Here Lies Love”は、
2010年3月29日の英国でと2010年4月6日の米国で
リリースされるものの予定です。##
2010年02月14日
私のブログにてお伝えした
デービッドバーン・ファットボーイスリム製作
イメルダマルコスの
コンセプトアルバム"Here Lies Love”
シンディは二曲担当しましたが
この度トーリ・エイモスとデュエットした
"Why Don't You Love Me?"が完成。
こちらで視聴できます。
cyndilaupernews.com
http://cyndilaupernews.com/index.php?entry_id=1266878351&title=first-listen%3A-cyndi-lauper-%26-tori-amos---%22why-don%26%23039%3Bt-you-love-me%3F%22
2010年2月22日月曜日
“シンディ節”
シンディの何処がいいの?
ふざけた事を、言っているんじゃないっ!!
好きなのに理屈があるかっ!!
と思っていたが
実は違うと、最近になって分かってきた。
色々、自分なりに分析してみると、
笑顔と、しかめっ面の境界線の顔
本能のままリズムに乗り
踊る(当たり前だが)のだが
時に、理解できない動きをする
独特の、ハーモニカの様な声で歌う
“シンディ節”
上記の事に尽きる。
このハーモニカの様な声で歌う
シンディ節と私は表現したのだが
(上手くニュアンスが伝わるだろうか?)
聴き心地の良い声から、シワガレ声に変わる
独特のシンディ節
もって生まれた喉を一度潰してから
こうなってしまったらしいのだが、
結果現在のシンディがあるのだから
良しとせねば。
しかし、最近又潰した。
本人は大丈夫と言っている様だから
大丈夫でしょう。
話はそれてしまったが
シンディ節が、一番分かりやすい曲は
“You Don't Know”
これだと、思う。
しかめっ面はともかく、
シンディのダンス・踊りについては
いつか、特集したいと思います。
二本目の、“You Don't Know”は
シンディにしては、珍しい口パク。
しかし、その分盛り上げようと
客席に乱入し、イスから長テーブルに上がろうとした時に
イスから足がすべりその前に立っていた女の子に
ぶつかるのだが、テンパッてしまったか
照れ隠しか、女の子の背中をポンッと叩く
シンディはテンションが上がると暴走する癖がある。
(高い所に上がったり、客席に予告無しで突っ込んでいく)
慌てて司会者が、止めに入るがシンディの
表情から見るとしてやったりという感じ。
この後、司会者に怒られ
我に返るシンディ。
しかしこの映像の後があり、
そこで司会者はニコリと笑う。
本気で起こっていた訳ではないらしい。
詳しい事は、分からないがドッキリ?
2010年2月21日日曜日
シンディ・ローパー ジョニ・ミッチェル Carey
ジョニ・ミッチェル
(Joni Mitchell、1943年11月7日 - )は、
カナダの女性シンガーソングライター、画家。
1997年にロックの殿堂入り。
1969年から2007年にかけてグラミー賞を9回受賞している。
カナダ・アルバータ州のフォート・マクレオド生まれ。
1960年代にトロントでフォーク歌手として音楽活動を開始。
その後アメリカ・ニューヨークに移り、1968年にデビュー。
1969年、セカンド・アルバム『青春の光と影』の成功により、
その名が広く知られるようになった。
1970年のアルバム『レディズ・オブ・ザ・キャニオン』は、
映画『いちご白書』の主題歌としてバフィ・セント=マリーに歌われた
「サークル・ゲーム」のセルフカバーを収録し、
同アルバムが全英8位を記録してからは、イギリスでも安定した人気を保つようになる。
続く1971年のアルバム『ブルー』は名盤として評価が高く、
2003年、ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500において、
女性ソロ・アーティストの作品としては最高位の30位に選ばれた。
1970年代後半には、ラリー・カールトン、ジャコ・パストリアス、
ウェイン・ショーターなどのフュージョン系のミュージシャンとも共演。
2007年、ハービー・ハンコックがジョニに捧げたアルバム
『リヴァー〜ジョニ・ミッチェルへのオマージュ』で、
ジョニ本人もゲスト・ボーカリストとして参加。
同アルバムはグラミー賞最優秀アルバム賞を獲得した。
音楽だけでなく、多彩な芸術家として写真や絵画など多方面で活動しており、
自らCDジャケットをデザインしたアルバムが、
グラミー賞のベストアルバムパッケージ部門を受賞したほか、
個展などでもその才能を遺憾なく発揮している。
ウィキペディア(Wikipedia)より転載
シンディがリスペクトしている
ジョニ・ミッチェル
ジョニ・ミッチェルの曲の中でも
Carey がとても気に入っている様で
2000年 Tribute to Joni Mitchellで
本人の前で披露している。
2009年に、ロージー・オドネル(プリティ・リーグ 1992 )との
共同のチャリティツアーにて久しぶりに聞かせてくれた。
ジョニ・ミッチェルの
1974年 Miles of Aisles (live)
アップテンポなCareyから、続けてどうぞ
2000年 Carey from The All Star Tribute to Joni Mitchell
2009年 singing Carey in Peekskill
2010年2月19日金曜日
続 シンディローパー 2008年コンサートツアーを振り返る
前回の続きです。
昨日のオランダでのコンサートで
機嫌が悪いシンディをお伝えしましたが
キレれると、こうなります。
ファンに何か神妙に伝えようとしているシンディ
しかし、観客席中央にビデオを構えた
ファンの男に気が付きます。
その男、シンディの話を遮るように話しかけます。
たまらずシンディ
“Shut the fuck UP!!”
「黙れコノヤロー!!」
場内騒然となり、続いて大爆笑に。
我に返ったシンディ。
速やかに謝りますが
この場合、もっと畳み掛ける様に
攻めた方が良かったのに。(笑)
アルゼンチン・ブエノスアイレス
さて、前回のオランダを参考に
今回のアルゼンチン・ブエノスアイレスを
見て頂くと明らかに
シンディの力の
入れようの違いが分かります。
観客のノリが良いし
観客の方がうるさい位です。
シンディも、ご機嫌です。
私が昨日指摘した
“曲の終わり
いつもオーバーアクションで
ドラムに合わせてリズムを取るのに
今回非常に投げやりになっているのが
分かります。”
今回は、どうでしょう?
ドラムに合わせてしっかり
ノリノリでリズムを 取って
靴で、シンバルを敲いています。
ご機嫌な証拠です。
続いて
ブラジルクリチバ
前に、集まってきている人たちは
大丈夫なのでしょうか?
今にも押し潰されそうな勢いです。
今回も非常に
ご機嫌なシンディ。
やはり最後に、
シンバルを靴で敲きに行きます。
続いて
チリ
一階席・二階席共に
超満員です。
日本も、これ位入ると思うのですが。
2008年、名前は控えますが
プロモート先の
やる気が余り感じられなかったと
思うのは私だけでしょうか?
協賛に
日本テレビ・中京テレビ・読売テレビが
付きながら
何をしてたのか?
シンディ人気が絶頂の頃のファン
育児から開放されているだろうし
仕事のストレスを抱えて悶々としている人(私がそうですが)
有る程度の余裕が有り色々な柵から開放されている人や
四十代~五十代には、
埋もれた昔のファンが一杯いるのに
前もって特番でも組んで
(深夜枠で結構、むしろ深夜枠の方が望ましい)
準備をしておれば、もう少し状況が変わったでしょう。
来日した事も知らなかった人が
沢山いたらしいです。
今回も、シンディご機嫌です。
例によって、シンバル敲いてます。
続いて、ペルーリマ
国立競技場、超満員です。
今回は、非常にしっとり歌い上げて
いるように見受けられます。
いつもに様に
シンバルは敲きませんが
機嫌が悪いようでは有りません。
今回は、ベースと掛け合います。
もしかすると、
ペルーリマの国立競技場
国の偉い方が、観覧していたのかもしれません。
シンバルを、靴で敲くという事が
リマのシンディファンならの分かりますが
偉い方には、無礼に当たるかもと
避けたのでしょうか?
最後に、国立競技場からの
“シャイン”
曲の始まりにペルーの国旗を背負い
歌います。
ペルーのファンは狂喜乱舞
凄まじいです。
それで、
シンディ客席まで降りて行きます。
いつもながら警備員泣かせのシンディです。
追加
私のブラジルの娘
バーバラが行った
ベロオリゾンテ コンサート
こちらも超満員です。
握手している中にいるそうです。
シンディと握手できて
良かったねバーバラ!!
明日は、お休みです。
臨時ニュースはこの限りにあらず。
2010年2月18日木曜日
シンディローパー 2008年コンサートツアーを振り返る
今回は、2008年コンサートツアーでの
各国でのファンの反応や
シンディのモチベーションの違いなど
Ⅰ Drove All Nightを例に見ていきたいと思います。
先ず母国アメリカ
ホームグラウンドですから、
ファンとシンディが一番良い状態で
安定したコンサートという事が
感じられます。
続いて日本
以前は、通訳がいたのですが
今回はいません。
しかし、親日のシンディという事を
ファンは、皆知っており
所々でしゃべる「ミズワリ?」「オシボリネェ」
「チョットマッテクダサイ」で会場中爆笑を取ります。
続いてイギリスロンドン
ヨーロッパに、入るとやや雰囲気が変わってきます。
ファンがいっせいに歌いだすのですが
シンディが、ここ一番「バーニングミーアップイン、サァ~~~イド」と
ためて歌う所をファン達はしら~っと平気で歌ってしまいます。
ココは一つちゃんと合わせろよ!
続いてフランスパリ
パリは「バーニングミーアップイン、サァ~~~イド」と
歌う所若干フライング気味です。
しかし、全体として一体感があり
非常に良い雰囲気だと思います。
続いてオランダアムステルダム
この映像は、ぜひ最後まで見て頂きたい。
シンディが、非常に機嫌が悪い事に気が付くと思います。
始めは体調が悪いのかと思ったのですが
どうも違うようです。
恐らくビデオカメラだと思われますが
皆、携帯やビデオカメラを使っても
手に持って撮影してるのは
大目に見ているのでしょう。
日本でなら、そうはいきませんが。
しかし、さあ、撮るぞとしかるべき場所で
堂々とやられると?
それが証拠に
画面向かって右側に来ようとしません。
シンディは、ビデオ撮影に気が付くと
絶対にビデオカメラに目線を向けません。
ファンと写真を撮るときには、
凄くサービスをしてくれますが
ビデオだけは別です。曲の終わり
いつもオーバーアクションで
ドラムに合わせてリズムを取るのに
今回非常に投げやりになっているのが
分かります。
最後に“How are you doing?”と客席に聞きますが
いつもとテンションが違います。
今日はココまで。
明日は、アルゼンチン・ブラジル・チリ・ペルーを
お届けします。
“セレブの見習い”追加予告編
2010年2月17日水曜日
続 シンディ・ローパー カナダオーディション番組より 愛息デクランと
前回の続きです。今回も指導アドバイスに熱が入ります。
やはり、女の子が気になる様で
男の子より力の入れようが明らかに違います。
度胸の付け方や発声法、シンディが直に教えてくれるなんて
此れほど、説得力のある物はありません。
参加者の若者達は一生の思い出になるでしょう。
参加者全員で
タイム・アフター・タイムを歌います。
この中で誰が優勝するのでしょうか?
そしてお待ちかね、シンディが
“シャイン”を熱唱します。
しかし、残念ながら
シンディの喉の調子が思わしくありません。
でもそこは、シンディしっかり観衆を沸かせます。
余談ですが、
2008年愛知県芸術劇場の
コンサートに行きました。
今では
そこそこ人気が出てきた女性歌手が
前座でした。
その女性歌手とシンディの決定的な違いは
ステージの使い方に有りました。
今では
その彼女も変わったとは思いますが
何せ、殆どが
ステージ中央でステップを踏んで
ステージを使い切る事が
出来ていませんでした。
この映像を見れば
シンディのステージの使い方が
以下に無駄なく、自分をアピールし
大きく見せようと表現している事
が伝わってきます。
喉の調子など、吹き飛ばすように。
5分47秒
今の、考えが偏った日本では
こんな事したら“品格が無い”と
怒られるかもしれませんね。
私は大いに結構なんですけれど!!
6分25秒
「ほら来て、デクラン。ママと一緒に踊って」
デクランと一緒に、踊ります。
何と、幸せそうな。
7分42秒あたりでデクランに合図します。
「やったわね!!」なんて言ってそうですね。
以上で、今回のダイジェスト版は終了です。
誰が優勝したか?
完全版を見たい方は、Youtubeにて
私のチャンネルで見てください。
2010年2月16日火曜日
シンディ・ローパー カナダオーディション番組より 愛息デクランと
カナダのオーディション番組「カナディアン・アイドル」
日本で例えるなら、スター誕生ですね(古いですが)
カナダの若者を、デビューさせる為に
指導・アドバイスしていきます。
指導している時の、シンディの表情はかなり
厳しいものがあります。
つい女の子に指導する時には普通より
力が入っているように見受けられます。
やはり過去の自分が、だぶって見えるのでしょうか?
今回、一緒にゲストとして愛息デクランの姿も。
1分18秒あたりで、観客の声援に答えるデクラン
それを見て、
「チョット、ヤメテよ。ママ恥ずかしいから」
表情から、察するとそんな事を思っていそうです。
この嬉しそうな表情。シンディが一瞬母親に変わる瞬間です。
この続きは、またあした。
2010年2月15日月曜日
シンディ・ローパー I´m Gonna Be Strong
ブルーエンジェル時代から歌っている
「I'm Gonna Be Strong」はアメリカの歌手、
ジーン・ピットニー(1941-2006)のカバー曲で、
1994年に発売された初のベストアルバム
「グレイテスト・ヒッツ/TWELVE DEADLY CYNS...AND THEN SOME」
に納められています。
本家 ジーン・フランシス・アラン・ピットニー
(Gene Francis Alan Pitney, 1941年2月17日 - 2006年4月5日)は、
アメリカ合衆国の歌手。
コネチカット州ハートフォード生まれ。
ギタリストやピアニストなどとしても知られた。
広く知られている名曲
ルイジアナママもこの人です。
2006年4月5日、ジーンピットニーは
英国ツアー中のホテルで突然亡くなったそうです
今回の、シンディのI´m Gonna Be Strong。
ブエノスアイレスでのライブ。
この曲を歌う時、シンディは徐々に
テンションを上げて行きます。
そしてここ一番の聞かせ所に差し掛かった時に
問題が起こります。
(昔のラッキー7のコントみたいですが。わからない人は、この際置いていきます)
しかし流石プロ。見事に歌い上げます。
2010年2月14日日曜日
シンディ・ローパー"Eleven Days" & "Why Don't You Love Me?" プレビュー
2010年2月13日土曜日
映像付きはココをクリック 世界のシンディファン達の傾向
特にシンディ、専門に映像をアップしていますから
必然的に、シンディのファンが集まってきます。
ここで、海外と日本のファンの
嗜好の違いを上げて行きたいと思います。
一つの動画に対してどれだけ差がつくか?実験してみました。
ただし、諸々の状況が微妙に違うのでどれほど正確化は定かではありません。
まず、
バラード・オブ・クレオ&ジョー
海外向けカウント236回
日本向けカウント45回
詩の内容を、理解した時にナルホドと思いました。ジョーは一日仕事を終え、プライベートな時間に戻るとダンスの女王クレオのに変わる。こんな無いようだと思うのですが。
やはり、昔から人種性別の偏見の間違いを唱えていたシンディが歌うと説得力が違うのでしょう。この曲について海外の友人達からの問い合わせも非常に多い曲です。
I Drove All Night
海外向けカウント56回
日本向けカウント133回
I Drove All Night、私が好きなシンディの曲の中で三つ上げろと 言われれば必ずその中の1曲に入れるほど、好きなのですが何故か?
フー・レット・イン・ザ・レイン
海外向けカウント75回
日本向けカウント303回
同じくこちらも日本の方が人気が有ります。
さて、本題に入りたいのですが、
最近ご縁があって、お二人日本の友人が出来ました。
その方達からの情報が非常に内容が濃いもので
私を、驚かせてくれます。
デボラ "デビー" ギブソンの熱烈なファン
debandanaさん
Cyndi Lauper - Interview [xxxxx xx 2XXX]
小林克也とシンディとの再会が有ったなんて、
見てびっくり!!この存在すら私は知らなかった。
TNYMA News (1988)
色々な物を在る所から探し出してきて
私に紹介してくれる。一郎さん。
シンディ・ローパー&シーラE “Stay”
Cyndi Lauper Mardi Gras 2008 - Girls Just Want to Have Fun
どこか海外旅行に行き、言葉が通じずに
その国に馴染めないでいた所
偶然日本人に会えた様な、そんな嬉しさがありました。今回、
お二人の事もっと早く詳しく
お伝えしたかったのですが
レディ・ガガとシンディの
ビバグラムキャンペーンと重なり
ネットサーフィンを繰り返すうち
体調不良になり、遅くなってしまいました。
最後に少しこの場で言いたいのですが
debandanaさんから、紹介していただいた貴重な
映像を海外の同志達に紹介しました。
未だに。誰からも返事一つ来ません。
レディ・ガガ絡みで忙しいかもしれないが
返事一つよこさないあいつ等のレベルの低さに
ほとほと嫌気が差します。
自分達の主義主張はハッキリさせるのに
(あれを持ってないか?これをもってないか?頻繁にメールをしてくる)
そんな時でも、直ぐに折り返し返事をこちらはしているのに。
意識の違い・文化の違い
そう言われたらおしまいなのですが。
非常に、不愉快です。
気を取り直して
一郎さん、debandanaさん
有難う御座いました。
これからも、お付き合いのほど
宜しくお願いいたします。
2010年2月12日金曜日
シンディは、被り物が好き!!
ガガとの競演に気を取られているので
私は違う方向で攻めます。
本日のテーマは
”シンディは被り物が好き。”
その①Grab A Hold
確認できる所で
ウィッグ (wig)は、赤・黄・青・黒・紫等です。この映像では黒ですね。
その②
日本でテレビに出た時に付けていた物は、ここで買ったんでしょう。
その③
付けてみました。
その④Set Your Heart
歌いそして、踊ってみました。ご満悦です。
その⑤When You Were Mine・She Bop 2009バージョン
これはかなり気に入ってるみたいですね。物凄く嬉しそう。
本日ブログ、もう一回アップする予定です。
次回予告、世界のシンディファン達の傾向
お楽しみに。
2010年2月11日木曜日
完全版はこちらをクリック!! レディ・ガガ&シンディローパー 2 トゥデーショー
classid="clsid:D27CDB6E-AE6D-11cf-96B8-444553540000" codebase="http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=10,0,0,0">
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2010年2月10日水曜日
シンディ・ローパー&ジョン・キャメロン・ミッチェルTrue Colors 2008 Tourより”MIDNIGHT RADIO”
ジョン・キャメロン・ミッチェル
(John Cameron Mitchell,1963年4月21日 - )は
アメリカ合衆国テキサス州エル・パソ出身の
映画監督・俳優・脚本家・プロデューサー。
父親が軍人だったため、
アメリカ・ドイツ・スコットランドの基地で育つ。
母親はスコットランド・グラスゴー出身。
兄弟のコリンも俳優・脚本家。
ノースウェスタン大学で演劇を学び、
1985年にシカゴで初舞台を踏む。
同年、ニューヨークにも進出し、
オフ・ブロードウェイやブロードウェイで
『秘密の花園』『私に近い六人の他人』などの舞台に立つ。
1988年からミュージシャンの
スティーヴン・トラスクと共にミュージカル
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』に着手。
原作・主演を手がけたこの舞台はオフ・ブロードウェイで
非常に高い評価を得、後に同作品の映画化で数々の映画賞を受賞した。
プライベートではゲイであることを公にしている
Wikipediaより転載
「人とは違う私たちに、いつも勇気を与えてくれたのは“ヘドウィグ”」
ジョン・キャメロン・ミッチェルのもとに、
彼の映画『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の
トリビュートアルバムを制作するため有名ミュージシャンたちが集結!
NYのLGBTQ(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスセクシュアル・クィア)の
青少年へ開かれた「ハーヴェイ・ミルク・ハイスクール」への
チャリティであるこの企画。ヘドウィグの申し子たちともいえる
ハイスクールの生徒へ向けて「自分自身の言葉を見つけて」と
いうメッセージと共に感動のナンバーを歌い上げる。
生徒達の日常も取材し、家族や周りの人々との関係に悩みつつも、
歌声に支えられながら自分の存在を認めるに至る姿は真実ゆえに感動的だ。
内容(「キネマ旬報社」データベースより)
True Colors 2008 Tourで
実現した、シンディとジョンの”MIDNIGHT RADIO”
それぞれの、ソロバージョンでもシビレルのに
デュエットされた日には、感動ものです。
2010年2月9日火曜日
シンディ・ローパー&パティ・ラベル レディ・マーマレード
1985年11月28日シンディとパティ
DIVAS 2004 ジェシカ・シンプソンも加わえて
公私共に仲の良い
シンディとパティ。
パティ・ラベルは
Patti LaBelle、1944年5月24日 - )
アメリカ合衆国ペンシルベニア州
フィラデルフィア出身の歌手、女優。
彼女の名を冠したコーラスグループ、
パティ・ラベル & ザ・ブルーベルズ、
ラベルの中心シンガーでもあった。
ライブパフォーマンスに定評があり、
その広い音域と特徴的な
ハイトーンヴォイスで有名な歌手である。
シンディの結婚式では、牧師がリトル・リチャード
(Little Richard、1932年12月5日 - )
アメリカ合衆国の歌手。
ロックの創始者の一人。
本名:リチャード・ウェイン・ペニマン(Richard Wayne Penniman)。
wikipediaより転載
パティー・ラベルがウエディングソングを歌った。
レディ・マーマレイドについて
「レディ・マーマレイド」は映画『ムーラン・ルージュ』(2001年)の中で使われ、4人の女性歌姫を起用したPVがMTVで大いに話題を集めて、大ヒットし、映画の興行に大貢献した歌だ。MTVを使った興行作戦はちょっと嫌らしかったが、マイアを中心にした、けばけばしいファッションの4人が、セクシーに踊りまくる画面はかなりのインパクトがあった。この大ヒットで「レディ・マーマレイド」が再び話題を集めたが、この曲、1974、75年にラベルによって、かつてそれ以上の大ヒットをとばしたことがある。ラベルといえば、この曲というくらい、彼女たちの代表曲として記憶されている人が多いと思う。しかし、この曲、実は彼女たちのオリジナルではない。同じ年にイレブンス・アワーというグループが先にこの曲をレコーディングしていたのである。
売れているとは言い難いこのイレブンス・アワーの「レディ・マーマレイド」を聞いて、興味を持った男が一人いた。名プロデューサーであり、自身がプレーヤー、そしてシンガーでもあるアラン・トゥーサンである。トゥーサンはザ・バンドの『ライフ・イズ・カーニヴァル』や自身のアルバム『サザン・ナイツ』で、売れっ子プロデューサーとして、すでにその地位を確立していた。その彼を訪ねてニューオリンズへとやってきていたのがラベルである。ラベルはパティ・ラベル、ノナ・ヘンドリックス、サラ・ダッシュの女性3人組グループであるが、実はそれまではブルーベルズという名前でフィアデルフィアを中心に活動をしていた。ブルーベルズは結成時には4人編成で、スマッシュヒットを飛ばしていたが、シンディー・バードソンがフローレンス・バラードの後釜としてシュープリームスに参加するため脱退してからは、あまりヒットに恵まれなかった。以降、後発のフィアデルフィアサウンドと呼ばれたグループに先を越され、不遇な時代が続いてしまうことになる。74年、レコード会社を替え、エピックと契約を結び、心機一転、ラベルと改名して、再出発を図ろうとしていたのが、ちょうどこの時だった。アラン・トゥーサンは、「レディ・マーマレイド」を彼女たちのデビュー・シングルとして使うことを決め、即刻、シー・セイント・スタジオで録音を行った。
ラベルは3人ともソロを取れるほどの実力者の集まりで、歌唱力には問題はなかったが、曲に恵まれなかったという不運があった。そんな彼女たちが起死回生のためには、インパクトのある曲が必要だったのはいうまでもない。「レディ・マーマレイド」はまさにうってつけの曲であったといえる。正直言って、この曲、歌詞はひどく卑猥で、お下品な内容である。ボブ・クリューはフランス人のクォーターで、フランス語の素養があったことから、"Voulez-vous coucher avec moi ce soir?"、つまり「今夜いっしょに寝ない?」というフランス語のフレーズを曲に入れている。このフレーズに象徴されるように、ニュー・オリンズのストリートガールを歌った曲で、スラングがボコボコ盛り込まれた、かなり過激な内容となっている。ニュー・オリンズのあるルイジアナ州は、フランス移民の子孫であるクリオールが多い町だ。ニュー・オリンズのクリオールの売春婦だからこそ、このフランス語のフレーズが登場する。作者のボブ・クリュー自身もクリオールであったからこそ、この歌は生まれたのだろう。
ニュー・オリンズをホームにしているアラン・トゥーサンは大人の女性が歌ってこそおもしろいと考えたのだろう。ラベルの再デビュー曲としてこれを選出したのだ。南部特有のホーンセクションを中心とした重圧な伴奏の下、ラベルのパワフルな歌で、このとんでもなく下品な歌が命を持つことになった。
もともとゴスペル歌手だった彼女たちのパワーと歌唱力は折り紙付きで、しかも女盛りの色気で、"Itchy Gitchi Ya Ya Da Da Da Itchy Gitchi Ya Ya here"(ニュー・オリンズの売春街のスラングで「ねえ、おじさん遊んでかない?」という意味らしい)と煽りまくった。ド派手でセクシーなファッションも話題になった。開き直ったラベルの新境地は話題を呼び、28週にわたってビルボードにランクインし、もちろんナンバーワンも獲得した。74~75年と年をまたいだロングセラーとなり、脅威的な大ヒットが記録されることになったのだ。
「レディ・マーマレイド」はもともと彼女たちの曲ではなかったが、大ヒットの産物で彼女たちの印象が強く残り、彼女たちの曲として認知されることになる。ちょうど、伊勢正三の作品で、かぐや姫の曲としてリリースされた「なごり雪」がイルカの曲として知られているのとよく似ている。ただし、ラベルは典型的な一発屋で、これに続く大きなヒットはない。レコード会社と方向性の違いもあり、2年後には解散し、それぞれソロ活動に入った。ソロでもっとも成功したのはパティ・ラベルで、今や押しも押されぬ大御所としてソウル界に君臨している。彼女のコンサートの模様を収録した『Live In New York』(1991年)では、ノナ・ヘンドリックスとサラ・ダッシュがゲストとして現れ、「ラベル」3人でノナの「リリース・ユアセルフ」を歌ってコンサートを盛り上げていた。
「レディ・マーマレイド」は全米では記憶に残る大ヒットを飛ばしたが、日本ではビック・セールスは記録していなかったと記憶している。この曲が当時のディスコで踊るにはあまりにもハードで暗めだったのと、英語が母国語ではない日本人には歌詞のインパクトがなかったからだと思われる。アメリカでは曲よりもむしろ、歌詞のインパクトが反響を呼んだから、大ヒットにつながった。途中挟まれるフランス語のフレーズを、女性を口説くときに冗談ぽく使うことができたし、"Itchy Gitchi Ya Ya"なんていうのも、おもしろがられただろう。アメリカでちょうどこの曲が下火になってきたころに、日本では西ドイツのシルバー・コンベンションが「セイブ・ミー」と「フライ・ロビン・フライ」で、ビックヒットを記録していた。ラベルと同じ女性3人組であったが、誰でもわかるような短い歌詞の反復のみの曲はわかりやすく、しかもソフトなノリのシルバー・コンベンションは、日本のディスコではバカウケだった。ラベルとは音楽性がまるで逆方向のシルバー・コンベンションの出現で、日本ではラベルは「レディ・マーマレイド」のみの、完全に忘れ去られた存在となっていくのである。
www.smilefilm.comより転載
2010年2月8日月曜日
シェール&シンディ・ローパー If I Could Turn Back Time
1998年、クリスマス・ソングやクリスマスに関係した曲を集めた初のシーズナル・アルバム『メリークリスマス…ハヴ・ア・ナイス・ライフ!/ Merry christmas...Have a nice life!』を発表。ジャケットには夫のデヴィット、ブックレットにはデクランと共に写っており、収録曲の「New Year's Baby(First Lullaby)」には当時乳幼児であったデクランの声が収録されている。このアルバムを最後にソニー・レーベルとの契約が一旦終わった。
1999年、『グラミー賞 Best Dance Recording』部門にノミネートされた「Disco Inferno」がJellybean Recordsから発売されクラブチャートでヒットし、シェールと共に3ヶ月半に及ぶ大規模な北米ツアーにでる。またアメリカのTV番組「Mad About You」に再出演したり、クリストファー・ウォーケンと共演した映画『The Opportunists』の撮影が始まる等、女優活動も精力的に行う。
2002年にラスベガスのMGMグランドで行われた「ディーヴァズ・ライヴ エルヴィス・プレスリー・トリビュート」にもセリーヌ・ディオンやメアリー・J. ブライジ、ディクシー・チックスらと共に出演し、"Believe"・"Song For The Lonely"・"Heartbreak Hotel"(ハートブレイク・ホテル、エルヴィス・プレスリーのヒット曲)の3曲と、シンディ・ローパーとのデュエットで"If I Could Turn Back Time"の合わせて4曲を披露した。
2002年、アルバム『Shine』に収録予定であった曲の中から、それまでライブやイベント等で歌ってきてファンのリアクションの良かった曲を選曲し収録された5曲入りのミニアルバムがOglio Records(オグリオ・レコード) から発売される。また、ラスベガスで行われたディーバーズ・ライブにスペシャルゲストとして出演し、シェールとデュエットを披露した。その後再びシェールと共に6ヶ月にも及ぶ大規模な北米ツアーを行い、延べ100万人以上の観客動員数を記録し、ローパーの以前と変わらないライヴパフォーマンスに各方面から大きな賞賛を受ける。
またシェールとのツアーの合間には、ソロライブを行ったり、店頭でのサイン会&ミニライブを行うなど、原点に戻った地道な活動を行い、『Shine EP』はマイナーレーベルからの発売にもかかわらず、好セールスを記録した。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より転載
Cyndi Lauperが8月20日(火)、オクラホマ・シティのFord Centerで行なわれていたCherのコンサートでのオープニング・アクト中に足を負傷した。 スポークス・パーソンによると、Lauperはステージに通じる階段上で靴のヒールをとられ、それがもとで足首をかなりひどく捻ったという。
Lauperはいすに座ったまま、残りのパフォーマンスを行なった。その後、地元のSt. Anthony Hospitalに運ばれ、医師の診断を受けた。足首の打撲と捻挫はあるが、骨折やひびは入っていないという。スポークスマンによると、Lauperは「痛みはあるものの、元気」であり、ツアーではCherの特別ゲストとしてひき続きプレイする。
BARKSより転載
ソニーとの契約が終わり、
1988年から2002年までシンディにとって
必ずしもいい環境には無かった。
そんな時に、シンディに声をかけたのがシェール
この人は、何が凄いかと言うと
アカデミー賞とグラミー賞という映画界と音楽界の
頂点の賞を手中に収めた努力の人。
シンディの才能を良く分かっている
姉御肌の素晴しい人。
2010年2月7日日曜日
米NBC シンディ・ローパー出演の'セレブ達の見習い'
ドナルドトランプ氏が正式に来シーズンの"セレブ達の見習い"
(各界のスパースター達が色々な職業にチャレンジする番組)
最新のサイクルを発表した。
キャストポップミュージックのアイコン、シンディ・ローパー、WWEのビルゴールドバーグ、
元Poisionフロントマンのブレットマイケルズが含まれます。
"
"セレブ達の見習い"放送は3月14日(日曜日)米NBC。
キャスト:
キャロルリーファー
シンドバッド
マリアケネリス
ロッドブラゴジェビッチ
シャロンオズボーン
マイケルジョンソン
ジョーCombover
カーティスストーン
シンディローパー
ビルゴールドバーグ
ダリルストロベリー
ブレットマイケルズ
セリータエバンクス
サマーサンダース
ホリーロビンソンPeete
cyndilaupernews.comより転載
http://cyndilaupernews.com/index.php?entry_id=1265532065&title=celebrity-apprecentice-preview
レディ・ガガ&シンディ・ローパーが、米ABC「Good Morning America」(米モーニングショー)にキャンペーンのため出演します。
レディ・ガガ&シンディ・ローパーが、2月10日米NBC「Today Show」に進む前に
同日午前、米ABC「Good Morning America」(米モーニングショー)にも
MACのViva Glam 2010年春のキャンペーンのため出演します。
レディ・ガガ&シンディ・ローパーの口紅"私達の唇コレクション"
シンディバージョン・ガガバージョンがあります。
ビバグラム・シンディ 赤珊瑚色(光沢)
ビバグラム・ガガ 青によるピンクの背景(光沢)
3月18日発売で、お値段は各14.00ドルです。
商品の売上高のすべての収益は、MACエイズ基金に寄付されます。
cyndilaupernews.comより転載
http://cyndilaupernews.com/index.php?entry_id=1265457465&title=cyndi-lauper-%26-lady-gaga-to-appear-on-good-morning-america
2010年2月6日土曜日
シンディ・ローパー&レディ・ガガ Viva Glam の "私達の唇"キャンペーン最新広告
エレンフォンアンワースによる写真。
「貴女の声、凄くセクシーね。自分でも判るでしょ?
私達とお喋りしましょうよ!!
どの様にしたら、誘惑的で満足のいく愛の生活
どの様に考えていけば良いのか?
安全な方法についてお話しましょう。私達、女の子の間で!!」
MACエイズ基金
今回
新しいキャンペーンガールに選ばれた
シンディ&ガガ
"私達の唇"キャンペーンMACエイズ基金は、
数ヶ月前から企画されていました。
彼女達は
2月10日 午後10時 米NBC「Today Show」に出演します。
cyndilaupernews.comより転載
http://cyndilaupernews.com/index.php?entry_id=1265369791&title=cyndi-lauper-%26-lady-gaga-viva-glam-ad
2010年2月5日金曜日
レディ・ガガ、とMACエイズキャンペーン シンディ・ローパー お元気そうで何よりです。このプログラムは米NBCにて2月10日午後10時放送されます。
2010年2月4日木曜日
それぞれの場所で Here and There 予告編 2009年/セルビア、アメリカ
先日、お伝えしたDVD
それぞれの場所で Here and There の
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2009版
予告編です。
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2009
長編コンペティション部門長編部門概要長編部門ノミネート作品
2009年/セルビア、アメリカ /82分
セルビア発!
ちょっとコミカルで哀愁漂う大人のラブストーリー。
元サックス奏者のロバートは落ちぶれた
中年のニューヨーカーである。
ある日、若きセルビア人ブランコから、
故郷にいるガールフレンドをアメリカ移住させるための偽装結婚を
頼まれる。
金稼ぎのために渋々ベオグラードへ向かうロバートだったが・・・。
監督: ダルコ・ルングロブ
出演: デヴィッド・ソーントン
ミリャナ・カラノビッチ シンディ・ローパー Cyndi Lauper
シンディ・ローパー
シンディは今
声帯ポリープで療養中です。
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シンディのtwitterアドレス
http://twitter.com/shebop_aka_cyn
2010年2月3日水曜日
DVD バイブス秘宝の謎(1988) リリース
バイブス秘宝の謎
原題: Vives
製作国: アメリカ
製作年: 1988
スタッフ
監督: Ken Kwapis ケン・クワピス
製作: Deborah Blum デボラ・ブラム
Tony Ganz トニー・ガンズ
製作総指揮: Ron Howard ロン・ハワード
原案: Deborah Blum デボラ・ブラム
Lowell Ganz ローウェル・ガンツ
Babaloo Mandel ババルー・マンデル
脚本: Lowell Ganz ローウェル・ガンツ
Babaloo Mandel ババルー・マンデル
撮影: John Bailey ジョン・ベイリー
音楽: James Horner ジェームズ・ホーナー
編集: Carol Littleton キャロル・リトルトン
キャスト(役名)
Cyndi Lauper シンディ・ローパー (Sylvia Pickel)
Jeff Goldblum ジェフ・ゴールドブラム (Nick Dezzy)
Julian Sands ジュリアン・サンズ (Dr.Harrison Steele)
Googy Gress グーギー・グレス (Ingo Swedin)
Peter Falk ピーター・フォーク (Harry Busca Fusco)
Ramon Bieri ラモン・ビエリ (Eli Diamond)
Elizabeth Pena エリザベス・ペーニャ (Consuela)
概要
並外れた超能力を持つ女性シルヴィア(シンディ・ローパー)は、
パーティーで知り合ったニック(ジェフ・ゴールドブラム)という男性が、
自分と同じ能力を持っていることを知った。
そんな二人を利用しようと、資産家でハリー(ピーター・フォーク)と
名乗る謎の人物が近づいてきた。
南米のアンデス山脈へ冒険に出たまま行方不明となった息子の
消息を辿るべく、二人の能力が必要なのだという。
高額な報酬をもらった手前ことわることもできず、
むしろ退屈しのぎと考えていた二人はハリーとともに南米へ旅に出る。
だが、ハリーの真の狙いは、古代インカ帝国時代の失われた幻の秘宝の存在であった。
目的を打ち明けられた日から、一行は何者かに命を狙われ始める。
当初の話題性は抜群で、人気歌手のシンディ・ローパーが
イメージそのままのキャラクターで闊達なヒロインに扮し、
映画初出演ながら好演するも、豪華な配役陣の魅力が活かしきれず
SFシーンも小規模であるため日本上陸を果たすも興行的には成功したとは言えなかった。
ただ、全編通しての映像は美しく、
霧のかなたに浮かぶアンデスの森林や高山地帯の集落などが情緒的に撮られている。
ラストの主題歌もポップテイスト溢れる名曲である。
Weblio 辞書より転載
日本未発売
此方でお求めいただけます。
米国発のオンラインショップ&情報サイト
DVD Fantasium
http://www.fantasium.com/detail.phtml?ID=COM61573&PHPSESSID=4f7445e36d5be94c82be5390845c2569
シンディは今
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2010年2月2日火曜日
Cyndi Lauper Another Brick in The Wall Dress Rehearsals 20th July 1990 ②
1990年7月21日ドイツのベルリンで
『ザ・ウォール』の
コンサートは、開かれました。
スコーピオンズ
シネイド・オコナー
ジョニ・ミッチェル
ブライアン・アダムス
ヴァン・モリソンなどの
豪華ゲストの中に
勿論シンディも参加しています。
本日は、
1990年7月20日のドレスリハーサルの模様を
お届けします。
一見、本番の様に見えますが
所々見ていく内に違いに気付かれるでしょう。
本番ではシンディ登場の時全力疾走で走ってきますが
リハーサルは、スキップしながらの登場です。
ブレザーのシャツを脱ぎ捨てるタイミングも違います。
色々違いを見つけて下さい。
2010年2月1日月曜日
Cyndi Lauper Another Brick in The Wall 19th July 1990 Rehearsal ①
1990年7月21日ドイツのベルリンで
『ザ・ウォール』の
コンサートは、開かれました。
スコーピオンズ
シネイド・オコナー
ジョニ・ミッチェル
ブライアン・アダムス
ヴァン・モリソンなどの
豪華ゲストの中に
勿論シンディも参加しています。
今回は、19日と20日のリハーサルの模様をお届けします。
『ザ・ウォール』の映像は珍しくありませんが
リハーサルとなると貴重ではないでしょうか?
19日の夜のシーンは全体の通しリハの模様、
Another Brick In The Wall Part 2の曲が始まりますが
シンディの姿がありません。
しかし、声は聞こえてきます。
1分55秒あたりで、
ステージ中央で飛び跳ねているのが確認できます。
2分30秒あたりで、いよいよシンディ登場!!
丁度、映画マイアミ・ムーン ( Off And Running)の
撮影がはじまった頃でしょうか?
帽子を被っていますが、
帽子を取るとショートボブの黒髪です。
4分44秒少し張り切って踊りすぎたのでしょう
カメラマンと接触しそうになり
照れ笑い。
明日は、ドレスリハーサルの模様をお届けします。
シンディは今
声帯ポリープで療養中です。
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