2010年12月13日月曜日

不定期連載 WWF(現・WWE)とシンディ②ウェンディ・リヒターvsザ・ファビュラス・ムーラ



ウェンディ・リヒター
(Wendi Richter、1961年9月6日 - )は、
アメリカ合衆国の元女子プロレスラー。
テキサス州ダラス出身。
1980年代よりNWAやWWFで活躍し
WWF女子王座などのタイトルも獲得。

1984年、ビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下で
全米侵攻を開始したWWFと再契約し
歌手のシンディ・ローパーと
悪徳マネージャーのキャプテン・ルー・アルバーノの
対立アングルに、シンディの助っ人として参入。
同年7月23日、"The Brawl to End It All" と
銘打って行われたMSG定期戦ではシンディを
セコンドに迎え
アルバーノがマネージメントする
WWF女子王者ファビュラス・ムーラと対戦
師匠のムーラを倒して新王者となった。


(上のビデオ、0:25。素に戻ってしまい、躊躇して
ムーラを殴れなくなってしまった優しいシンディ。)
この試合はロックン・レスリング
(Rock 'n' Wrestling)というコンセプトのもと
MTVで放送され大反響を呼び
翌年のレッスルマニアへの伏線ともなった。

以降もシンディ・ローパーとの
コラボレーションでムーラとの抗争を続け
1985年2月にムーラの差し向けた
レイラニ・カイにWWF女子王座を奪われるも
3月31日のレッスルマニア第1回大会にて
奪還に成功。

WrestleMania - Wendi Richter vs Leilani Kai (c) - 03.31.85
JNeidhart. -
(ウェンディより気合の入った、シンディ。
マネージャー役が、様になってきた頃。)

また、CBSのテレビアニメ
"Hulk Hogan's Rock 'n' Wrestling" にて
キャラクター化もされるなど
WWFのヒロインとなって各メディアで活躍した
しかし、契約問題でWWFとの間に軋轢が生じ
1985年11月25日のMSG定期戦において
ムーラが覆面を被って変身した
スパイダー・レディに女子王座を奪取され
WWFを離脱した。



WWEとは1985年以来
絶縁状態が続いていたものの
2010年に殿堂入りが実現。
インダクターは
ロックン・レスリング期のWWFを
共に支えたロディ・パイパーが務めた。



ザ・ファビュラス・ムーラ
(本名:メアリ・リリアン・エリソン )
[1923年7月22日 - 2007年11月2日]は、
主にWWEなどで活躍した
アメリカ合衆国の女子プロレスラー。
1940年代のデビュー以来
2007年に死去する寸前まで
長きに渡りプロレス界に貢献。
その晩年には
『史上最高齢の現役女子レスラー』と
呼ばれ
1995年に女性初のWWE殿堂入りを
果たすなど、アメリカでの
女子プロレスの地位を高めた。

1984年よりWWF(現・WWE)が
ビンス・マクマホン・ジュニアの
新体制下で全米進出を開始すると
女子部門の中心人物として招かれ
かねてから保持していた女子王座も
正式にWWFの認定タイトルとなった。
WWFでは悪徳マネージャーの
キャプテン・ルー・アルバーノと結託し
1984年7月23日のMSG定期戦では
人気歌手のシンディ・ローパーが
セコンドに付いた
ウェンディ・リヒターと対戦。
試合には敗れ女子王座を失ったものの
"The Brawl to End It All" と
題されたこの試合はMTVで放送され
大きな反響を呼ぶ。
以降もローパー&リヒターとの
抗争アングルを展開し
1985年3月31日の
レッスルマニア第1回大会にも
リヒターの対戦相手
レイラニ・カイのマネージャーとして
出場、ローパーとのリング外での争いで
大会を盛り上げた。

2003年9月15日放送のRAWでは
ランディ・オートンのRKOを受けるなど
80歳を過ぎて尚、生涯現役であることを
アピールした。
WWEへの最後の登場は2007年8月26日の
サマースラム。
ここでも元気な姿を見せていたものの
同年11月2日に
サウスカロライナ州レキシントンにて
84年の生涯を閉じる。
翌週のRAWでは長年の功績を称えて
追悼映像が流された。

つづく・・・

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