2013年10月2日水曜日
8月31日 オーストラリア キャンベラ 彼女は、なぜ泣いたのか?最終回
三回に渡り
rockin’on 1994年 3月号
インタビュー を読んで頂いたが
それ以降の
彼女の歩みを
今一度、思い出し
感じて頂けれは幸いです。
2013年 8月31日
30 Anniversary
She's So Unusual
オーストラリア ツアー
キャンベラ
ロイヤルシアター
タイム・アフター・タイムを
歌い始めた彼女は
直ぐに、べそをかき
観衆の前で泣き出した。
彼女がショーの最中
泣く事は多々ある。が
しかし
何時ものそれとは違った。
歌い終えた
彼女は観衆に向け話し始める
「今まで『オールディーズ』ツアー(的な事)は
やりたくなかったの。」
オールディーズ?
懐かしの曲、あの人は今?
巷では
ライバルと言われた
アーティスト達に差を
付けられた感が拭えず
シンディファンは
悪戯に
シンディはどうした?なんて
耳にする事や
言われる事が少なくない。
我が道を行き
信念を変えず貫いている
シンディ。
しかし実はその事を
彼女自身が一番気にしていた。
30周年だからといって
安易に懐かしの
コンサート的な事をするのには
抵抗があったのだろう。
しかし
2012年
彼女自身を
カミングアウトした自伝本を発売
日本でも発売され
世界的なベストセラーに。
2013年
ミュージカル Kinky Bootsの
音楽をプロデュース。
米演劇界で最高の栄誉とされる
第67回トニー賞 ミュージカル部門オリジナル楽曲賞を受賞。
その事により彼女は
グラミー賞、エミー賞
トニー賞を受賞するという
偉業を達成し
見事に結果を出し
世界中に今一度
シンディ・ローパーの名を
知らしめた。
そういった事が自信になり
彼女は自分を単なる
"オールディーズパフォーマー"ではないと
思えたのだろう。
今になってやっと
昔の曲を歌ってパフォームする事を
楽しめる様になり
そしてそこには他にも選択肢が
あるという事を彼女自身が自覚し
30周年記念
She's So Unusual Tourを
彼女にとって新しい感じのツアーだと思え
アルバム
She's So Unusual の曲を
当時のオリジナルで歌う事を
心の底から楽しめたのだろう。
そして
タイムを歌い始めた時
彼女の頭の中で
その事が過り
オーストラリアのファン達の
シンディに対する熱い愛が
彼女を泣かす
誘い水にもなったのだろう。
そもそも
タイム・アフター・タイムは
観衆を泣かす曲
タイムを歌いながら
ベソをかきだし
泣きだした様子が何時もとは違い
いつ迄も泣き続ける彼女
ショーの雰囲気に
ただ感傷的になり
泣き出した様には思えなかった。
こうして理由を理解出来た時
彼女をより一層愛おしく思えた。
今回毎度の事ながら
部分的に人の話し声や
叫び声で聞き取れない状況を
私の突然の思いつきの戯れに
嫌とは、言わず
方々、手を尽くし協力して頂いた
木村びりいさんに
感謝いたします。
(^_−)−☆
2013年10月1日火曜日
8月31日 オーストラリア キャンベラ 彼女は、なぜ泣いたのか? パート3
rockin’on 1994年 3月号
インタビュー 最終稿
★ (笑)で、今作なのですが
オノ・ヨーコにインスパイア
されたというのは?
シン
「そう、三枚目のアルバムの後
私はもう絶対この仕事を
辞めてやるって思ってたの。
映画もやったけど
あの時は惨めな気分でね。
但しあの仕事のお陰で
デヴィッド、
もう一人のデヴィッド
(・ソーントン 現在の夫)と
出会えた訳だけど。
そんな時、ヨーコが
リヴァプールで催し物が
あるんだけど
参加しませんか?って
電話をくれたの。
それで乗り気になったんだけど
自分で音楽の
アレンジをしたいって言ったら
彼女が承諾してくれたので
リヴァプールに行って
10〜12人程のバンドと
仕事をしたの。
私がアレンジしたのよ
それが楽しくてね。
彼女が全部
快く承諾してくれて
時間も、ちゃんと取ってくれて
励ましてくれたわけ。
だから
彼女が私をまた
この道に連れ戻してくれたって
言えるわね。
彼等と
"ワーキング・クラス・ヒーロー"を
演奏して
これで『あぁ、私にも出来るんだわ。
今迄、何考えてたんだろう。』って
ハッとしたの(笑)。
それと
彼女の本
『グレープフルーツ』にインスパイアされて
"HAT FULL OF STARS"の曲も
書いたのよ。
19歳の時に書いたものなの
美しい夜空の星を見ながらね。」
★ あなたのアルバムを
振り返って見ると
常にハッピーで
前向きでありながら
以前にも増して包括的で
より愛情に満ちた世界が
感じられるのですが
年齢も関係してるんでしょうか?
シン
「年齢?40歳半って事が?(笑)」
★ いや (笑)
まぁ、まるで一人の女性の
成長過程を見ている様な
感じなんですけど。
シン
「アーティストとしては
もちろんそうよ。
アーティストとして成長しなければ
どうしようもないでしょ?
成長しなければ
私の存在の意味なんて
ないでしょ?
私は常に成長していたいし
80歳になっても何か凄い事を
やっていたいと思うわ。(笑)」
★ 多くのファンは
あなたの生き方や姿勢に
共感を覚えていると思うのですが。
シン
「私の生き方って
どういう意味で?」
★ あなたの優しさ、強さ
そしてキュートなところとか…
シン
「まぁ!キュートなところ?(笑)
『彼女、キュートよね。』って
言われるのよね(笑)」
★ (笑)。
結婚されたと聞きましたが
それで人生観が変わったりしましたか?
シン
「そうねぇ
よりハッピーになれたし
自分が愛されていると感じる様に
なったわね。
これは大切な事よ。
もちろん
良い時も悪い時もある…
例えば
ここ二ヶ月程、彼とは会っていないけど
努力してるわ。
でもね
音楽に結局全部折り込まれていくと思うの。
人生に自分が注ぎ込んだものが
大切なのよ。
自分の出せるもの
与えられるものにオープンな姿勢でいれば
その見かけ良かろうが悪かろうが
そのうち
これだというものに
出来上がっていくのよ。
道が開けてくる。
正直言うと
自分が結婚するとは
思いもしなかったし
結婚なんて
信じてもいなかったのよ。
ただ私は…
あら⁈
お腹が鳴っちゃった!
ゴメンナサイ…(笑)
私と結婚したい人が
いるかどうかは
知りたかったの。
デヴィッドと会って
二週間もしない内に私は
『この人なら楽しい人生が送れる。』って
思ってた。
彼も結婚を考え始めてた。
でも私は不安になったの。
映画俳優は簡単に結婚を決めたりするけど
私はそういう生き方は嫌だったから。
それで一緒に暮らしてみる事にしたんだけど
それで私の考え方も変化した。
彼が私の歌詞を見て
『シンディ、君は詩人だね。』って言ってくれたの。
そんな事言ってくれた人
初めてだったから
ビックリしちゃった(笑)。
そりゃ仕事関係の人は
いろいろ言ってくれるけど
それ以外の人で
そんな事言ってくれるなんてね。
デヴィッドは英文学の学士で…
ねっ!私が全うな英語を
話せる人を
知ってるなんて驚きでしょ?(笑)。
その上、彼は演劇の修士も修めてるから
詩にも、もちろん詳しいわけ。
そんな人から
そんな事を言って貰って
感激したし励まされた。
それが大きなきっかけとなって
それ以来
私は熱心に余計な手を加えないで
素直に自分の気持ちを
書き綴る様になったの。」
★ なるほど。
えー、大変残念なんですが
時間がなくなってしまったので…
シン
「これで大丈夫?
他に訊き残した質問はない?」
★ 山程あるのですが
でもとても楽しかったです。
シン
「そう?
これで私の話を分かって
もらえたかしら?
このアルバムの事を
より分かってもらえたかしら?」
★ はい、どうもありがとうございました。
rockin’on 1994年 3月号
インタビュー
三回に分け掲載したが
如何だったろうか?
アルバム
"HAT FULL OF STARS"や
自分のキャリア、考え方、結婚
希望に満ち
インタビューに応えている姿が
浮かんでくる。
しかしこれ以降
彼女の思い、方向性は
以前の様に
圧倒的には世の中に
受けいられない時代になっていく。
一方、ライバル視されていた
アーティスト達は成功を納め
人気を不動の物とし
シンディは大きく差を
付けられてしまう事になる。
彼女が世間でライバルと
言われていた人達と比べられたり
彼女のキャリアに付いて
何と言われ様が
我々ファンは
我が道を行き貫き通す
そんな彼女が大好きであり
愛し、支持をしている。
我々は誰と比べられ様が
何とも思わないのである。
が、しかし…意外だったのは
その事を、一番気にしていたのは
実は彼女だった。
次回に続く。
2013年9月30日月曜日
8月31日 オーストラリア キャンベラ 彼女は、なぜ泣いたのか? パート2
★
「A NIGHT TO REMEMBER」では
以前の元気いっぱいの女の子が大人になって
しかも何処と無く頼りなげな姿が感じられるのですが。
シン
「あの頃は凄く大変な時期だったの。
デヴィッド・ウルフ
(彼女をデビュー以前から支えてきた最大のパートナー)と別れて
その上、顎の腫瘍を除去する手術をした直後で
顔に歯止めを付けてないと
もう歌も歌えないかも
知れないって言われてたの。
それで結構ボロボロになってた。
あのアルバムの
レコーディング中に初めて
あの歯止め無しに歌った日の事は
よく覚えてる。
唇が上手く動かせなくて。
それといろんな人と衝突したわ
特に当時のアメリカの
A&R担当者と。
私はこれをやりたい。
それはどうかなぁ?
これをやるべきだよ。
でも私は嫌だわ…なんてね。
でもね
とにかくあのアルバムは
今作に至る為にも必要な
アルバムだったのよ。
今作では
また私は喜びを見出せたから。
前作では失ってた喜びをね。
でもとにかく私は
自分が感じた通りを
正直に表したわ。
あの作品では自分の声域の
低音部分を主に使った。
ファーストでは中間部分
セカンドでは高音部分
サードでは低音部分
そして今作では私の声域を
フルに使ったのよ。(笑)
それでいいと思うの
それが成長というものでしょ。
ある地点に行き着く為に
通過しなければいけない地点も
あるという事ね。
今現在
この扉の地点迄達した私にとって
可能性は無限大よ。
今では自分自身を理解しているし
ライターとして自分の声を
再発見したし
創造という事において
私がやるべき事は
何でもやれるって自信もついた。
不思議よね
小柄のせいなのか
女だからなのか
私みたいなアーティストが
自分で何でも
やってしまうなんて。
曲を書いて
プロデュースして
アルバムカバーや
ビデオに迄、関わって。
自分で見聞きした事を
そのまま全部やってしまうって
大切な事よ。
凄いわよね(笑)。
もちろん凄い葛藤も伴うけど
素晴らしい瞬間というのも
あるの。
同族精神みたいな物を
出したかったのよね。
それをタイトルにしようと
思ってたの。
それってつまり愛
いろんな女性
男性でもいいのよ
とにかくいろんな人達が
どんな事を感じて
朝から夜を過ごし
また朝を迎え…という
そこに思想が感じられて
自分でも納得してたんだけど
途中でよそ道にそれて
タイトルも
「A NIGHT TO REMEMBER」に
してしまったの。
それで曲も結局
夜の様な歌ばかりに
なってしまった。
自分では外しておけばよかったと
思う歌も幾つかあるのよ。
でも夜に集点を当ててた訳だから
自然と夜の様に暗いアルバムが
出来ちゃったわけ。
まあ、私もいろいろ変化を
経てきたけれど
あの二枚のアルバムは
私にとっては
大荒れの時期だったわね。
今作とファーストの二枚は
私のとてもハッピーな時期に
出来たのよ。」
★ そこに収められている
"UNCONDITIONAL LOVE"は
私の大好きな曲なのですが
ここでは究極の愛が
歌われていますよね。
こういう歌を歌うのは
実はかなり
勇気のいる事ではないかと
思うのですが。
シン
「あれは元々『バイブス』という
映画の為に書いた曲なの。
守護者、天使についての
お話だったんだけど
天使って究極の愛
それにまつわる行為を
理解しているでしょ。
まぁ、まず天使の存在を
信じてなければ
しょうがないけど。
それとあれは
デヴィッド・ウルフに
向けた曲でもあるの。
"UNCONDITIONAL LOVE"というのは
最上の愛の形でしょ。
他人に何のルールも
押し付けない
これをあげるから
あれを頂戴って
いうもんじゃないの。
子供や動物の方が
そういう愛を持ってるかもね。
駆け引きとか協定とか
ないでしょ?
あっ、でも私の猫は例外かも(笑)
エサが貰えると思うと
私に擦り寄って来るもの。」
★ (笑)で、今作なのですが
オノ・ヨーコにインスパイア
されたというのは?
シン
「そう、三枚目のアルバムの後
私はもう絶対この仕事を辞めてやるって思ってたの…」
次回、パート3に続く
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